ここ十数年は人の手がはいっていなかったであろう廃屋だったが、改修が施こされ、
様々な武人が行きかう中継地として、休憩所として、武道場として、その姿を新たに呈していた。

雨風を凌げれば良いと思っていたが、これは予想以上に居心地がよい。

全く違う土地にいて、こうも懐かしさを感じるのはその風貌のせいだ。


張り出した焼いた土製の屋根と、板張りの廊下、広間。
木造の骨組みが垣間見える、漆喰の壁。土間の下の台所。
周囲はやや雑草に覆われてはいたが、打込用、試斬用の巻き藁や、多少の敷地もある。


和風家屋を思わせるそのなりは、心も体も落ち着かせるには十分だった。














　深く人々を拒むような護りの森で、俺達は手痛い敗北を喫した。

鬱蒼たる樹海、視界と感覚のあらゆる角度からくる殺気、足を絡めとるような樹木の根。
常に周囲に気を払いながらの戦闘は、精神的にも消耗するのは至極当たり前だったのだ。

畳を思わせる、編んだ干草の床に体を投げ出し、チラ、と部屋を見渡す。



傍らには、傷つきやや浅い息を繰り返し横たわる傭兵の姿。

彼の黒い鎧は脱がされ、漆喰の壁に立てかけてある。
普段は磨かれて光沢のある表面が、走りぬけた木々の、受けた攻撃のせいで、ところどころ光を失っている。

いつもの一本をくれと言わんばかりに、指を口に当て煙草を吸う仕草で催促をされたが、首を横に振った。
だが、冗談が言えるのであれば回復はそう遠くないのだろう。




そして、もうひとつ。縁側で外に視線を向けている雇い主の姿があった。

傷の痛みを感じ休息しているというよりも、何かを考えているようなそんな小さい背中。

樹海への道を決めたのは雇い主その人である。

武を求めると言ったそのまなざしは、まっすぐというよりは、危うさを湛えた砥がれ過ぎた爪。
少しでも刃角が違えば、折れかねない。
触れようとすれば指を怪我しかねない爪。

頭の両側から生えた角から下がる、白く長い布飾りが、夜風に小さく揺れている。
それは、長く緩やかな髪をたたえた後姿と重なった。

視線の先の草むらからだろうか、
ちりちり、コロコロと虫のようなものが輪唱している。










来客のない今宵の武刃館は、とても、とても、静かだった。



























沈黙を破ったのは、自分。

低く、ざらついた唸る様な声を、小さな雇い主の背中に向ける。
返事は、ない。

親指と人差し指の合間に、二本の刀傷がある右手に、視線を落としながら軽く握る。

何故話したのだろうか。
自分の身近に居るものが、いつかの夜に己の思う武を語ったからであろうか。

それとも、森での敗北に関して何か言おうとしたのであろうか。
違う。これは、俺の独り言だ。

振り切るかのように、トンと膝を打ち鳴らして立ち上がる。

なんと説教じみた”独り言”だっただろうか。
それでも、嘗ての自分とはまた違う危うさを秘めたその後姿に、一言声をかけたかったのだ。
やはり、俺は、言葉が下手だ。

口から出る言葉は、どうもいけねぇ。




行き場の無い右手が首の後ろをひとつふたつ撫でた後
ばつが悪そうに目を伏せたまま、部屋を後にした。















武刃館と刻み込まれた看板が、真正面の壁の中央に鎮座していた。



ギシ…と木製の床を鳴らし、穴がふさがれた道場に、軽く一例をしてから踏み入れる。
乾いた木材が切られたばかりの匂いがする。





道場内を確認するように見回した後、木刀を手にする。

壁に立てかけられている2つの刀掛けには、やや形の悪い木刀が、それぞれ3本ほどかかっていた。
これも先日の改修の際に、自らが斬り出したものだ。

木刀で空気を薙ぎ、一振り、二振り。
低めの振動音をさせながら、護りの森で出会った怪物達の姿を思い浮かべては二つにしていく。




やはり手になじまない。
切り出して十分に表面を鑢がけしたつもりだったが、手垢のしみこんで居ないそれはまだ手になじまなかった。
そもそも、「木刀」と呼べるほどに洗練された形ではなかったのだが…。



踏み込み、足をひいては振り続ける。
板張りの穴がふさがれ、もう床が抜ける心配は無い。

素人工事ゆえに、ギッ、ギと残念な音がする部分があるのは仕方が無い。
この道場もまた、母屋とともに、数名の手によって改修されたものだった。













暫くして胸元と背中の着物の色がじっとり変わる。ー

ふぅと一息つき目を細めた拍子に、五月蝿いくらいに賑やかな景色が蘇った。




***

乾燥させた木材を肩に担いで運んでいると、どこかで聞いたことのある声がする。

続いて、がやがやと4人の若人達が、陽気な空気と共に、まだ手直しの済んで居ない武刃館へ訪れる。
日差しから作られる影は短く、太陽は高く、済んでいる。


見知った顔である…はずだったが…、いや…やはり何かが違う。
かつての姿のままの者、言動は似ているが記憶が違っている者、性別が違う者。



かつての仲間達との再会…
いやこれは、あたらな出会いとも言えるのだろうか…。



第一声にとても迷う。
そして、迷った挙句に搾り出した言葉は、期待と確認を込めた一言だった。

　手前の残念な頭でも、推測できたことが一つあった。
何らかの理由で、かつて見知った者が、それぞれの…、経験と、年月を別々に過ごした状態であるということ。
まあ難しいことは、どこぞの頭のいい学者さんにでも考えてもらえば良い。



刀気法を使い、巨大化した刀で木材を切り出した後、縁側でひと休憩の茶を啜る。

さすがに大工のように、上手くはいかなかったが、思ったよりも板として切り出すことが出来た。
それもこれも、貧乏道場時代の金策として、船大工に借り出されたことが会ったことが幸いしている。




ふと、隣におはぎの載ったお盆が置かれた。

板切れがささくれだった部分を避けるように、一人の少女が隣に腰掛けた。
明るい水色の着物を着た少女は、耳の後ろ辺りから、透明な魚のひれのようなものが出ている。
まっすぐに切られた前髪は両側に分けられ、広いおでこを覗かせていた。

…俺はガキが苦手だ。
この手の子供の場合、怖がって逃げられることが殆どであり、かつてこの少女と同門であったときも、
遠くから観察されるように警戒されていたように思う。


ちらと視線の端に少女、ニシネの姿を捉えると、その表情は、酷く心配して不安な様子だった。

どういうことだろうか。
おびえる様な、警戒しているのに其れでいてどこか頼るような表情であったが、視線はあうことはない。

なるほど、周囲の状況がまだ把握できて居ないのかもしれない。
もっとも…自分もその一人ではあったが。

俯き加減に段々と小さくなる言葉の最後は、風に消え聞き取れない。
そして、今にも俯き泣き出しそうな様子に対して、口の端をすこし曲げることしかできない。



だが、この状況をどうしろというのだ。俺はガキの扱いがが苦手だとわかっているだろう…。


ふぅと大きく息をつき、一口二口温くなった茶を口に含んだ。
荒れた庭の雑草を撫で、ボロで穴が開いた障子をすり抜けて、少し水分を含んだ風が通る。

何も言わない大柄の男を隣に、俯いたままニシネは縁側からぶら下げた足を交互に揺らした。




三度目に湯飲みを傾けたときに、口が開く。

ニシネにしてみれば"自分自身"も、変わってしまった一人かもしれない。
だが、貧相な語彙の中から出したその一言は、彼女だけでなく、自分自身に向けた一言でもあった。