白金刃をしまい、私は改めて腕の中の天使を見やる。
　先程の戦闘が終わっても特に動じることなく、むしろ嬉々としていたところを見ると、どうやら本当に、赤子程度の知能のようだ。
　戦闘が終わってホッとしたとか、もう少し頼りがいのある精霊を呼びたかったなとか、色々な感情が混ざった溜息を吐いてると、アギオスがほんの少し浮いて頬に触れてきた。

　そのままにしていると、柔らかい光のイメージが脳裏に浮かんだ。意識が現実に戻ると、体についていた小さな傷が幾つか治癒している。アギオスが回復の魔法を使ったようだ。
　天使は私の前方に回り込むと、至極嬉しそうに私に話しかけてきた。

　一気に曇った私の顔を見て、不安そうな顔をしつつもアギオスはまだ声をかけてくる。何かを伝えようとしてくれているのだろうが——。

　私は精霊の声が聞こえない。精霊達は、時折人に聞こえる音や言葉で自らの意志を伝えてくることがあるが、その度にこちらはわからないのだと説明して回る必要があり、少し厄介なことでもある。一般の精霊術師なら彼等の声を聞くことなど容易いので、精霊達もあまり理解してくれず、昔野良でいた精霊を怒らせてしまった時もあった。
　一番苦労を感じるのは契約の時だ。予め魔法陣の中にその旨を書いておく、ということはできず、こちらからの発言とあちらの納得が全てだ。人型や獣型の精霊なら、ジェスチャー等でコミュニケーションを図れるが、ウィスプやシェイドなど、現象の塊となっている精霊との相性は最悪と言っても良い。アギオスとは、元になった術式を使って契約したので、今の今までそれを伝えることを忘れていたのだ。……不思議と罪悪感を感じるのは何故だろう。
　

　どう伝えたものかと考えあぐねていると、アギオスも同じように心配そうな顔で頭を傾げる。
　その動作が可笑しくなって、つい笑ってしまった。とりあえず、簡単なジェスチャーで説明を試みてみる。……何回か繰り返したところで、ようやく得心したらしく、アギオスは首を大きく縦に振った。
　そのまま再び胸に抱きついてきたかと思うと、淡い光を放ち、聖霊の姿が掻き消えた。

　恐らく、顕現できる時間を過ぎてしまったのだろう。まだまだ私の技量では精霊を長い時間召喚するのは難しいらしい。

　少し、他の人と会話ができないということを寂しいなと感じてしまうようになってしまった。元いた世界では一ヶ月間ほとんど誰とも喋らずとも平気だったのに、普段と違う環境は少々堪えるらしい。
　私はまた誰かに会えるだろうかと、淡い期待を持ちながら先へと進んでいった。





　それから数時間もしない内に、小さな見慣れない花が咲く庭園の横を通り過ぎようとして、私はそこから出てこようとする人影を見つけた。

　先程の寂寥感のせいか、私は人と会えたという喜びから、あまり警戒せずに話しかける。
　彼の人は、この庭園には不釣り合いな、闇の如き黒き鎧に身を固めた戦士だった。こちらを振り向くと目を見開き、すぐにさも可笑しいと笑い始める。

　様子がおかしいと気づくも遅く、こちらに狂気を孕んだ瞳を向けて、戦士は得物を手に力任せに私を殴ってきた。

　受け身はとれたものの、草むらに紛れた石であちこちに小さな擦傷が出来たようだ。じんわりとした痛みが体に危険を知らせる。
　上体を起こした所で、戦士は得物を首筋に宛てて警告を発した。

我等兵士は、ネクターを所持してる者全てを排除せよと御達しを受けているのだ！

　気勢をあげて抵抗しようとしていた私は、思わず言葉を失った。よりにもよって私は、現状敵対者たる者に、無防備にも近づいていたのだ。不注意が過ぎる……この世界に来てから、気を緩めすぎていたのだろうか。

　私の一瞬の隙を見逃さず、罵声と同時に兵士は得物を大きく振りかぶる。避けられない！



　硬質のものがぶつかり合う音が響く。……痛みは、ない。
　目の前で組んでいた腕を解き、閉じていた目を開くと、白銀の厳しい鎧を身に纏った、長身の人物が私と兵士の間に立っていた。
　その人は気合いの一声と共に、兵士を押し込むように前に動く。銀糸のような編み込みの髪が、剣戟の中で大きく揺れる。その隙間から、人間のそれとは違う、尖った耳が見えた。

　所々透明な部分があるその鎧は、見た目よりも軽いらしい。エルフは軽快なステップで剣を翻し、兵士を大きく後退させると、ようやくこちらを振り向く。
　陶磁器よりもなお白い肌。切れ長の目の中の大きな蒼い瞳が、私を捉えた。

　見惚れてしまっていたので、もしかしたら素っ頓狂な声が出たかもしれない。私は立ち上がり、小刃を抜き構えた。長身のエルフの女性は私が立ち上がったのを確認してから、前方の兵士を睨み続けている。
　自身の不利を悟り、兵士が救援を叫んだ。

　存外近くにいたらしく、もう一人黒い鎧の兵士が庭園を抜けて駆けつけてくる。自分の情けなさに恥じ入りながらも、私は来たる脅威を振り払うべく、威勢を張った。