最近、『用務員』の仕事がなくなった所為か、さまざまなことを考える。
　手にした古書を広げながら、今も、とりとめもなく。


　あふれるエンブリオと、どこかに集められた筈のネクター。
　ネクターに群がるように現れるエンブリオと、そうでないものたち。魚と共に現れたあれ。

　王。
　その単語の持つ物語は、概ね同じ。善か悪か。秩序か混沌か。そういった代物。
　権力。
　花はどこへいったのかという疑問。ネクターを独占することに、得があるようには思えない。王様なら、多くを手にすることが出来る。
　多くあると独占では、後者の方が得に思えるが、長い目で見ると損も多い。特に、この世界は、所有しているだけでは力にならない。
　生命を損なうネクターを独占するよりは、ばらまいておいた方が豊穣を招くだろう。前の王がそうしたように。
　もっとも、『独占』という言葉は、自分の感じたものではなく、この世界の人間が使うべき言葉であるのだが。

　降りた王様。
　何故、どうして王として君臨していたのか。どうして『降りた』のか。単純な図式で考えれば、新王が現れたため。
　それ以上は、わからない。この目で見たことも聞いたこともないから。

　エンブリオによる、緩やかな支配。
　約束された安寧。なくても生きてはいける。たくましく一揆など起こしているという事実。民草が、か弱いだけではない事実。
　独占そのものより、急激な変化によって傷ついたもの、損なわれたもののほうが多いのではないか。


　王国が滅びるのには、いくつか種類があるとあの方は言った。
　王族の死。国の象徴であり、実質的な統治者を失うこと。
　民の死。国を形作り、民という枠の中で流動する力や枠そのものを失うこと。
　土地の死。国があるべき場所、国のあり方を決めていく方向性や環境を根こそぎ失うこと。
　他にもあらゆる滅びがあると言うが、「王、民、土地」という構造から見た滅びは、そうしたものだと。

　いずれにせよ、生まれた土地と運命を共に出来るという選択肢があることは、さいわいなのかもしれない。


　外套の前を引き寄せ、少し顔をうずめるようにする。
　さほど寒いわけではないが、ベッドとは違う意味で安心出来る。
　題名のない古書を閉じて、胸に抱くように横になると、自然と小さな息が漏れた。
　疲労。少し違う。ただ、愉快でない考え事に、飽きてしまった。

　狼の声がする。遠くから。比較的近くからも。
　それは敵意ではなく、呼びかけだった。何故か、そうとわかった。
　群れに帰ろうと誘う声か、群れになろうという呼びかけか。そういった、類の。

　——帰る群れはない。ないことに、決めた。
　ただ、少しずつ遠くなる、賑やかな言いあいの声と、早く寝なさいという小言のある夜は、少しだけ懐かしい。
　懐かしさの向こうにある記憶を引き出すことはしない。しなくても良い。
　そう、皆が早く眠れるといい、だとか。
　起きてしまわなければいいな、だとか。
　もしそんな気配がしたら、そしてひとりぼっちだったら、自分も起きて、飲み物でも持って行こうか、だとか。

　半分眠りながら、そんなことを考えるのは、ずっと、ずっと、疲労に効くことだと思った。

（手袋を着用する