お前はこの世界を、知りたいと思うか？


・・・私は　———




それが始まり

この世界との

これが、始まり　———




*　*　*　*　*




「ただいま」

知らない人の声が聞こえる。

「お帰りなさい、姉さん」

母さんの声に似てる・・・けど、ちょっと違う。
ほんの少し低くて、凛々しい声だ。

「アデル、伯母さんが帰ってきたよ」

ああ、あの声が伯母さんなんだ。

「やあ、えっと・・・うん、お前はアーデルハイドの方だな。
あははっ、久しぶりだなー覚えてるか？・・・って、無理だよな。
お前はまだ１、２歳くらいだったもんなぁ、ははは」

楽しそうに笑う人だなぁ。
そんな事を思って声のする方へ体を向けると、頭に何かが乗った。

手だ。
母さんより大きな手。

でもそっと触れる感触は、母さんのように優しかった。





「アデル、ちょっと話をしないか？」

「お話？今もいっぱい聞いたよ？」

「いや・・・もっと大事な話なんだ」

「ふぅん？・・・うん、いいよ」

少し離れた場所から、カチャカチャとお皿同士がぶつかる音が聞こえている。
母さんが夕飯の後片付けをしてる音だ。

「場所を移動したいからついておいで。手を取るから、驚くなよ」

そっと私の手を握ると、伯母、ロジーナはゆっくりと歩き出す。

どこへ行くんだろう？

不思議に思いながら、手を引かれるままに後をついて歩き出した。





手を引かれて歩いたので、自分がどこにいるのかわからない。
少し恐ろしくもあるが、繋いだ手の暖かさが恐怖を紛らわせてくれた。

頬に当たる風が心地いい。
板を踏む硬い感覚が消え、私の足は柔らかい場所を踏みしめる。
初めての感覚にとまどっていると、ふいに彼女の歩みが止まり、繋いだ手を離された。


「アデル、お前はこの世界を、知りたいと思うか？」

「・・・せかい？」

「世界は広い。とても、途方も無く広いものだ。
　そして、お前の知っている場所は本当に小さいものなんだよ。
　もっと・・・もっと、広い場所を知りたくはないか？」

「せかいは、お家よりもおっきい？」

「ああ、比べ物になんてならないくらい大きい」

「わぁ・・・うん、知りたい！」

「そうか、じゃあ最後にひとつ・・・聞かせて欲しい

　お前は　すべてを見る　覚悟はあるか？

　世界はとても美しく

　世界はときに残酷だ。

　それでもお前は、見ることを、知ることを　望むか？」


あの時の声はいまも耳に残っている。
決意を抱いた強い声。
でも少し、ほんの少しの迷いを含んだ声。


「・・・私は、知りたい。知りたいよ」

そうか、と微かに呟く声が聞こえると、再び手を取られ何かを握らされる。

「目を閉じて、強い意志で祈るんだ。　世界を　みたい　と」



*　*　*　*　*




闇夜に浮かぶ赤い花。

いつもの景色に浮かぶ赤。

たゆたうように宙を舞う

その美しき花の名を

私はまだ、なにも知らない。

でもあの時私は

私は確かに、この美しい光景に心を震わせていた。



「今日からオレは、お前の光だ」



誰かの声が頭に響く。



手にした物が　はな　だとも
目にした色が　あか　だとも


なにも知らないまま

私と世界は、こうして、始まりを告げた　———

主人は不在なのかと問うアデルに元気よく返事をするが
どうやったって通じないのを獣は分かっていない。

名前を問うと頭を左右にふるふると振り、首元に光る一枚の銀板を見せる。
そこには「Vermelho」と彫り込んであった。

嬉しそうにアールも微笑んで見せる
名乗られると、にっと笑って自分、そして次に腕の鷲を指差しながら応えた

後ろを覗きこむようにして、人形を摘み上げ。

ぶらんぶらんと揺れながら、クリストファーの口から溢れかけた小言を遮るように問いかける。

目の前の少女はその柳腰に剣を携えているだけあって、
見た目よりも警戒心を備えているのか、僅かな機微にも敏いようだ。
にこやかな応対の中にも こちらに向ける緊張が見て取れる。

「らしくないミスをした」。
そう内心で嘆息していると、何やらずいと小袋を差し出された。

やんわりと拒否を試みるが、返ってきたのは 『受け取れないよ』 という言葉。
こちらを見つめる澄んだ赤い目は 強い意思の光を湛えている。
一見素直そうであるのに、なかなかどうして頑固なところがあるようだ。

先程はついその手を掴んでしまったが、こうして改めて眺めてみると
やはり少女の顔は 『あれ』 に似ている…ように思えた。

…否、 『あれ』 の目はこんな鮮やかな赤ではなかったし、
面差しだってもっと気弱そうで、そも年齢からしてずっと違う筈だ。
そう自分に言い聞かせて 少女から目を逸らし、色褪せた記憶を辿る。



蒼みを帯びた豊かな黒髪
やんわりと細められた瞳
華奢な肩
白い額


…——
————……

…次々と蘇る断片的な記憶に、気分が悪くなってきた。
強烈な不快感が胃の底から迫り上がり、指先まで冷たくなってゆく。
冷や汗が背中を伝い、漏れ出る呼吸が浅くなった。

そんな唐突な変化に驚いた少女が、慌ててこちらに駆け寄ろうとする。
それから逃れるように半歩、後ろに下がろうとして…

ぐらり、と視界が傾いた。

露店の宝石屋のスィナンは、アデルを見知っていた仲のようであった。
兄妹、姉弟とも違うパートナーのような絆を、たつきは感じ取った。

少し、躊躇のある表情を浮かべた。

大事に布を被せた和風の手鏡をアデルに見せる。

物腰は優しい言い方である。アデルを脅している訳ではないようだ。
未知であるエンブリオを初見し、負の感情を抱かれるのでは？と懸念している。