兵士たちとの戦闘を終えた夜、ヴァルトはとある夢を見た。


薄暗い部屋の中に男は居た。
衣服を介さず素肌の背で直接感じる壁は冷たく、床も同様に冷たい。手首や足首にはさらに冷ややかな刺すような感触。
その嫌な感触を取り除こうと、挙げていた腕を下ろそうと試みる。

しかし金属の軋む音と共に阻まれ、腕は下げることが出来なかった。頭を擡げて見遣れば、なるほど両手首には錆びた鉄の錠が掛けられ、天井から延びる鎖に繋がれていた。
溜息と共に足の方も確認する。やはり足首にも金属の枷。しかもこちらはご丁寧に鉄球と繋がれている。

つまり男今、拘束されているのだ。
石造りの牢屋の中、四肢の自由を奪われた状態で男は考える。

——　己は何故投獄されたのだ？

どうにも記憶が不明瞭だ。そもそも自分の名前すら確かだと思えない。ただ全身を覆う倦怠感と諦観の念から、自分はこの牢に入れられるべくして入れられたのだろう、とは思えた。
だが、その牢に入れられて然るべき理由が思い出せない事には、やはり疑念は禁じ得ない。

——　己は誰だ？
——　この牢は何処だ？
——　己は一体何をしたのだ？

繰り返し自問しても一向に答えは得られず、ただ無機質な静寂さが辺りを包む。そんな無意味な時間にも愛想が尽き、男は再び、目を閉ざすと重力に任せるがままに項垂れた。



——　よォ、大将。惨めなもんだなァ。

不意に、声がした。
男は弾かれるように顔を上げると、声の主を探し始める。右、左、と首を動かし視線を巡らせ、

——　そっちじゃねェ、こっちよこっち。上だ上。

声は確かに男の頭上からしていた。先刻男が確認した手錠から繋がる鎖の途中、石の壁が四角く刳り貫かれたように造られた窓に、一匹の獣が居た。
その獣は細長い胴体を鎖に絡ませる様にして、素早く男の許へと降りてくる。

——　どうしたィ大将。狐に摘ままれた様な顔だァ。

俺ァ狐じゃねェけどなァ、と男の目の前で獣が嗤う。獣は淡い燐光をまとった鼬の姿をしていた。
細長い胴体をすらりと立たせ、男の顔を覗き見ると背を丸め震えるようにして嗤う。

——　まァ、無理もねェかよ。大将。　今のアンタは、ぜーんぶ綺麗さっぱり、忘れちまってるもんなァ。

不敵な、いっそ不気味と呼べる様な笑みを顔に貼り付けて、鼬は男を見つめている。
その言葉を受け、男は変わらず不明瞭ながらも思い出した事があった。

　　己は、この獣を知っている。

それも一年二年の年月ではなく、もっと昔からである。しかし、“それだけ”だった。
更に深く思い出そうとすると、急に男の頭が痛んだ。側頭部を無理やり締め付けられるような、鈍い痛み。

——　カカッ、無理すんじゃねェや大将。今はまだ『時』じゃねェ。

鼬の笑い声が不愉快に響く。しかし同時に頭痛は消えていった。顔を上げた男に、鼬は続ける。

——　何はともあれ、今ァこんな湿気た牢を出るのが先だわな。どれ、力を貸してやろうじゃァないか。
——　何をする気だ、だァ？嗤わせるなよ大将、覚えてねえかもしれねェが、アンタァ知ってるはずだぜ。

まァ最初は俺に任せときゃァ良いんだよ、鼬はそう言うと男の肩に飛び乗った。
淡かった燐光が途端に焔の様に明るくなり狭い牢の中を照らしたかと思えば、男の意識はそこで途絶えた。





目を覚ましたヴァルトが居たのは、見慣れた部屋の寝台。タンポポ荘の自室だった。
それは何ら不思議な事ではなく、確かにこの場所でヴァルトは床に就いたのだから、当然である。

全身に汗をかいていたので、寝台の傍に置かれた水差しからグラスへと水を注ぎ、それを一気に呷る。
少しばかり上がっていた呼吸を整えると、ようやく未だ日が昇っていないことに気が付いた。眠る前に窓から見えていた月は見えなくなっていたが、それほど時間は経っていないのだろう、そう思えた。

——今の男は誰なんだろう

妙に生々しい、実感を伴った夢だった。岩や拘束具の冷たさ、男の内なる声、鼬のまとった燐光、鼻につく笑い声。
それらを思い出し、ヴァルトは周囲を見回した。視線を感じる。


すぐに視線の主は見つかった。エンブリオである。夢に出て来た鼬とは似付かないが、同じシルエットをした小獣が寝台の端でこちらを見つめている。
思えば、自分がこのエンブリオと契約をしたのはいつだったか——そんな事がふと脳裏に過った、その刹那。同時に、ヴァルトの脳裏に鮮明に蘇ったものがあった。

「……エンブリオ。」

口をついて出て来た言葉は、静かな部屋に消える。
エンブリオ。ネクターの花弁を用いて契約を交わす事の出来る、メルンテーゼの動植物。

——自分は、エンブリオの力を……

再び自身のエンブリオと目を合わせた時、獣の姿は静かに口を開いた。

「あァ、ようやっとそれを思い出してくれたかィ、おにーさんよォ。」

“あの鼬”とはやはり似つかない声色ではあったが、聞いた事のある、独特な訛りのある声が確かに部屋に響いていた。







☆今回のおさらい覚え書き☆

・兵士を撃破！
・練習試合で敗退

そう言って、杵を差し出す。

一時和らいだ表情が、また再び不機嫌そうに歪みだす。

ふふん、と鼻を鳴らす少女。
しかしそれは鎌へ向けられる感想だという事に気づいているのか、はたまた。

銃を受け取り

メロンに関して

そうであれば、元の持ち主は今頃——。
想像が行き過ぎかけたが、軽く首を振る。それは、考えなくて良い話だ。