エンブリオと結んで、剣を持って、鎧まで着て、このざまだ。

　よけた、そう思ったその瞬間がつんと強かに頭を打ち据えられる。避けきれず、兵士の剣の鍔が僕の額を打ったのだ。かっと熱を持った額はどうやら切れているらしく、たらりと液体の伝う感覚があった。目に入ってしまってはことなので、剣を構えたままに血を拭う。革の手袋がずるりと滑って、鉄臭さが増した気がした。
　
　水浴びをしていた二人の兵士に見つかって、相手がほぼ裸だと油断して逃げなかったのがよくなかった。兵士は予想外に精強で、僕の剣は幾たびも空を切る。セバスチャンの銃弾は僕ほど狙いを外しはしないものの、決定打には及ばない。
——なんとか、なんとかしなければ。
　ぜいぜいと鳴る喉を忌まわしく感じながら、僕は剣を握り直す。そう、体力だってあっちのほうがずっとあるのだ。このままでは消耗戦になる。そうなれば勝ち目はない。視界の端に赤いものがちらついて鬱陶しい。どうやら額から流れる血は止まっていないらしかった。
　銃声。セバスチャンのものだ。兵士の意識が僅かにそちらに逸れた——ような気がして、思い切り踏み込んで剣を薙ぐ。ごうと風を切る音。軽い太刀筋ではない。鉄塊のような大剣の、勢いに任せた重い一撃。当たれば、当たりさえすれば。祈るような思いが通じたのか、剣の柄から伝わってくる振動にはわずかだが確かな手応えがあった。散る赤。腕を負傷した兵士は剣を取り落とす。

「やっ——」
　やった、思わずそう言おうとした言葉は途中で止まり、代わりに喉の奥からは湿った空気の塊が吐き出される。
　不自然な浮遊感。衝撃。背中から地面に落ちたのだと知る。さっきまで浮いてなどいなかった、のに、どうして。激痛。背中じゃない。腹。腹？　込み上げてくるものを抑えきれずに口を開くと、自分の意志とは無関係に吐瀉物が地面に溢れた。酸い臭い。息がうまくできず、引っかかるような呼吸を不規則に繰り返す。これもまた自分の意志とは無関係な涙が落ちて吐瀉物と混ざる。汚い。痛い。
　額がざりざりと土を擦る。そこでようやく、腹を殴られたのだと察する。尋常ではない力で殴り飛ばされたのだ。足音がするがそちらに気をやる余裕がない。セバスチャンが何事か叫んでいる。土を蹴る音。足音。罵声。わからない。視界の端に黒が見えた。軍靴の黒。申し訳程度に足につっかけられたそれ。固い軍靴。衝撃。追い打ちのように。蹴られたのだと知る。あたま。立て続けに二度。悲鳴のような機械音声。わからない。痛い。暗転。


■

　夢を見ていた気がする。遠い昔の夢。僕が今よりもっとこどもだった頃、物語で読んだ旅に憧れて、外へ出たいと父へ請うた時の。
　当時はよくあることだった。一足早い反抗期というやつだったのかもしれない。拒否されて、それでも追い縋って、懇願して、最終的には毎回、こっぴどく叱られたっけ。そうして自室でみっともなく泣きじゃくっていると、いつも決まってセバスチャンがやってきて、しゃくりあげる僕の背中をさすりながら、穏やかな物語を僕に読んでくれた。遠い夢。今の僕はあんなにこどもではないし、もう外を夢見て泣くこともない。遠い夢だ。

　促されたような気がして目を開ける。一瞬遅れて耳元から機械の駆動音がして、それから視界に光が溢れる。まず目に飛び込んできたのは円形。まるいレンズ。見慣れたセバスチャンの、無機質で優しいレンズ。彼のひとみ。

「気ガツキマシタカ！」

　温度のない機械音声が安堵の色を孕んでいたのは、きっと僕の気のせいではない。
　見回すと、どうやらここは浅い洞窟の中のようだった。ランプの明かりに照らされる岩肌は淡く発光していて、あの川の光を想起させる。おそらく、あの川で輝いていた結晶と同じ成分が、この洞窟の岩にも含まれているのだろう。
　セバスチャンは気絶した僕をつれて、あの兵士たちから逃げたに違いなかった。彼らはほとんど裸だったし、あまり深追いはされなかったのかもしれない。逃げた。そうか、逃げたのだ。

　僕たちは負けたのだ。

　ぼんやりと彼のレンズに手を伸ばす。血に塗れた皮のグローブは外されていた。触れる。ひんやりとした冷たさが指先から伝わってくる。セバスチャンの体温。鉄の温度。シリンダーとモーターによる微かな振動。
　ぼろりと涙が溢れた。彼のレンズからではない、僕の瞳から。ドコカ痛イトコロデモ、と慌てたようにセバスチャンが問うのをそのままにして、僕は彼をぐっと抱き寄せる。冷たい。丸い。すべすべとした、よく知った感触。
　悔しかった。恐ろしかった。セバスチャンが僕を連れて逃げてくれなければ、あそこで殺されていたかもしれなかった。今までいっそ清々しいほどの愚かさで外界にはしゃいでいたことが、急に恥ずかしくなった。僕は弱かった。弱すぎた。ほとんど裸の兵士たった二人に、あっけなくやられてしまうほどに。
　僕はセバスチャンの冷たく滑らかな体に額を押し付けて泣く。彼のアームパーツが、ゆっくりと僕の背中をさすっているのを感じた。昔と同じように。
　遠い夢だとさっきは思ったけれど、本当は遠くなんてない。僕は昔と同じように、セバスチャンに縋って泣いている。弱い僕。小さな僕。体ばかり大きくなったって、あの頃から少しも成長していない。

　それでも。僕は強くなりたい。強くならねばならない。
　成さねばならぬ使命もあった。父に命じられたことでもあった。しかしそれよりも何よりも、こうやって無条件に僕を庇ってくれるセバスチャンを、守ってやれるくらい強くなりたかった。
　強くなりたい。セバスチャン、ぼくのただ一人の友人。ぼくのただ一人の親友。ぼくのただ一人のきょうだい。おまえに庇われるお坊ちゃんじゃなくて、おまえを守ってやれるかっこいい大人の男に、僕はなりたい。

キュポン　サラサラサラ

勢い任せの叫び。剣をしっかりと構える。勝てる、勝てるさ。勝つんだ！