Melntese冒険日記 四日目 「土下座兎と右手に半裸」

冒険者たちの喧騒が心地よい広庭を抜けると、鬱蒼とした樹々が立ち並ぶ小さな森があった。
野生の動植物たちに警戒しながらけもの道を抜けると、今度は小さな川があった。

水底の石がくっきりと見えるほど澄み切った清流だった。
川幅はそこまで広くはないが、流れもそこまで速くはない。
せせらぎの音に混じって、星が瞬くような、あるいは、宝石の鳴るようなサラサラとした音が聞こえ、心地よい空間を作り出していた。
その心地よさはこの小川にいる魚たちも重々理解しているようで、岩の隙間から水面を覗くと小魚たちが悠々自適に回遊していた。

差し込む光線に混じって、川岸に自生する植物が蛍のような光を発している。
いくつもの花弁を付ける白い花、あれはスズランだろうか。
花弁ひとつひとつが ぼぅ っと浮かび上がり、神秘的な淡い白色を放っていた。
風も微々たる空間、その花の周りだけが時間の止まったように沈殿している。

広庭の喧騒はどこへ行ったのだろうか……。
いや、さっきから川のせせらぎも、星の瞬くような音も、宝石の鳴るような音も少女たちの耳に届いている。
ところがいったいどうしたというのだろう、その音さえも些細と片付けても良いくらい、二人の周りには妙な静寂が漂っていた。

幻想的であり、それでいて、神秘的な雰囲気。
神秘的であり、どことなく、荘厳な雰囲気。

メグたちがまだロンドンに居た頃、ケルトの魔法を学ぶために一度アイルランド島を旅したことがある。
杖をついて歩く曾祖母に連れられて、記念にと入場したダブリンの聖パトリック大聖堂。

建物自体の歴史の重みとか、宗派自体の歴史の重みとか、もしくはそれ以上の。
何か、黙って何か想いを奉げなければいけないような雰囲気の漂う空間だった。

その時感じた厳粛な空気と似たものを、メグたちはこの水辺から感じ取っていた。
瞳を閉じれば、大聖堂の鐘が鳴っているかのような錯覚に陥る。
二人と一匹は、その音なき音にしばし耳を傾けていた。


　　　∽∽

メグはしばし何かを考え込むような素振りを一瞬見せると、いそいそと小川のすぐそばまで歩いて行った。

そして、そっとその手を水面まで伸ばすと、手首から先を水の中につけた。

彼女の白磁のような手が清流に揺らめいていく。
次にメグは、そっと水をつかむような仕草で手を引き上げた。

そして、にぱっと笑う。

そう言うや否や、メグはムートンブーツを脱ぎ捨て、次にオーバーニーソックスを脱ぎ捨てた。
彼女の小鹿のような脚が露わになると、メグは両足を小川に浸した。

従者は「弱ったなぁ……」という表情で首の後ろをカリカリと掻く。
幸いにして、今は特に人の気配はない。アルは近くの岩に背を預けて腰を下ろした。
とりあえず、何かあった時のために、自慢の耳だけはピンと立てておく。


　　　∽∽

少女は膝から下を冷たくて綺麗な水に浸しながら、川べりに腰かけていた。
両手を後ろに置き、右足、左足、右足と、交互に足を上下させながら、水の感覚を味わっているかのようだった。

ちょっとだけ水遊びができればいいかな〜位に思っていたら、水に浸かってしばらくしてもアルは案外何も言ってこない。
従者なりに気を利かせていることがわかって、少女の表情に自然に笑みが零れる。
そしてメグは、柔らかい笑いをあどけない表情に浮かべたまま、ふと右へ向けた。

一人の、と言うべきか。一匹の、というべきか。
兎角、気品ある美しさを漂わせたマーメイドが、腰から先を水に浸して休息していた。

メグが思わず見とれていると、そのマーメイドがふと少女の方を見やった。

　目　が　合　っ　た　。

ヤバいという直観が働いた時には、メグは既に自分の杖を取りに戻っていた。
しかし、相手の波状攻撃の方が速かった。

杖に手が伸びても、そこから相手に照準を合わせて攻撃魔法を発動するのでは一歩遅い。
そもそも、今のメグはロクな攻撃魔法を修得できていない。

一瞬の判断で、メグは咄嗟に回復魔法を自掛けした。

こんなときに、わたしの忠実たる従者は一体何をやっているのか。
メグはマーメイドの水魔法を最小限に抑えながら、かわいい兎の名前を呼んだ。

そしてまたもやってくる波状攻撃。

メグは、やけくそに杖を振り回しながら、自分でも何を発したのかよくわかっていないが、とりあえず「何か」を発する。
そして同時に、従者のいない状態での戦闘に心細さを痛感していた。

三度目の波状攻撃をなんとかやり過ごしながら、ようやく視界の端に白兎の姿を捉えると、彼は主人の声に気付いて飛び上がったところだった。
瞼が半分落ちている……あの兎野郎、うたた寝してたのか。

アルが懐中時計を抱えてこちらに走り寄ってきた。

少女がポツリと漏らした。
失態を詰りたい気持ちと、安堵と、若干の嬉しさが入り混じった複雑な表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐに敵に向き直る。

　　　∽∽

見事な土下座である。
実に美しい土下座である。

いつもなら、メグがアルを振り回してアルが釘を刺すパターンが多い中、こういったケースは珍しい。
いくらアルがお目付け役を自負していても、こういうときは敵わない。

多分無いとは思うが、しかしメグの目を見るに、いよいよ自分もミートパイだろうか……。
多分無いとは思う、多分無いとは思うのだが……いやいやしかし、万が一のことが無いわけでも……。

……そんなことを逡巡考えながら、アルは黙っていた。

アルは顔を上げた。しかし、複雑な表情をしたまま黙っている。
意地でも自分の疲労を認めたくないらしい。

少女は諦めて、大きな溜息を一つ吐いた。

蚊の鳴くような、か細い声で兎が答えた。
いつもは講釈垂れる割に、今日は妙にしおらしい。
メグはそれが可笑しくてしょうがなかったのだが、笑うのを我慢した。

笑いを堪える表情を見られないように顔を上流の方へ向けると、視界の一端に水浴びをする男の姿を捉えた。

すると、向こうもこちらに気付いたらしく、すぐに武器を手に取ってこちらに向かってくる。
制帽を被った半裸の男が、雄叫びに似た咆哮を挙げながら走り寄ってきた。



はだかのおとこ が しょうぶ を しかけてきた！