偽の者は王城のある町からやや離れた近くの森を仮の住まいとしている。打ち捨てられていたボロ屋を掃除して、ちょっとした装飾も施して、何とか人が住める状態になっている。あくまで安全に居座れる場を獲得しただけに過ぎず、魔法元素を利用した調理器具などの配備はまだまだである。異世から手に入れたコンロなどを使おうにも、この世界ではあまり役に立たない。
　魔物、異形の生物が多く存在する辺境の森だが、しかし町から近く、仕事以外では関わり合いになろうしない臆病な偽の者にとっては非常助かる場所だった。宿もなければコネもない。宿を転々として回ろうにも金は無い。なれば色宿で相手をするか援助……とそれはあまりにもお粗末な結果になりかねない為自粛した。
　夏の森の朝は早い。脈々と力強く根を張る大樹に覆う深緑の緑はそよそよと風に揺られ、太陽の光をまんべんなく浴びる。木を取って打ち付けただけのような、それほどまでに形容できるオンボロな木造の家も例外で居は無く、手入れの行き届かない表面には苔むして、蔦が多用に絡まり、今も成長を続けている。
　……梅雨の間、あれだけ若々しく萌えていた蒼の葉はどれもこれも美しい緑、草花、そしてここに住む「仮の主」が持ってきた植物彩によって彩られている。
　敷地を囲う柵や扉にすら、遠目から見ればまるで色とりどりの花が咲いたかのよう——。

「……」

　———その扉の前、扉を覆う大きさの、巨大な毛玉があった。凡そ3メートル程は在ろうか、大きなけさらんぱさらん……ではなく毛玉が転がっておった。ふっさふさでもっさもさの毛玉が、入口を塞ぐ様にしてででんっと。太陽の光をさんさんと浴びて毛並みの一本一本が太陽の色にすら染まっているようにも見える。

「……なに、これ」

　その手前で、今しがた探索から帰宅した女は考え込んでいた。首を傾げ、左右に数度揺らしては角度を変えて様子見。いくつかの秒数を眺めるに抑えて、とりあえず手遊びしていた両の御手を解いて、伸ばしてみる。
　もふっ…とはやらず。いわゆる寸止めを図ってみた、どうだろう。生き物だったなら触ろうとする“気配”を見取って、動き出すのではないかと思った。
　翳された掌の下、影の辺りの毛が、風もないのにふるりと小さく震える気配。ふさふさの毛並みをさわりと短く震わせ、戦慄かす様子は獣が身震いをする様とよぅく似ていた。温もりをふれる直前から熱を放出している事は理解、できる。
　然し、生物らしい気配があるかと云えば、不可思議。毛玉そのものは確かに其処にあるし、獣の様な温かさも持ち合わせているのだが…何かが違う。其れこそ、触れさえすれば泡沫か淡雪の様に消えてしまいそうな——。

「……」

　ふと、毛玉の端からぴょこんと何かが生えた。
　……尻尾の様だ。尾の先だけ夜色に染まった、雪白の尻尾。更に毛玉のてっぺん近くには二つの三角耳がぴょこんっと生えて。

「…クゥ」

　もそ、と身じろぎした毛玉——もとい、巨大な白銀の狼が、姿勢を変えてくるりと其方に振り向いた。炎と珊瑚、色違いの暖色の眼差しが穏やかに揺れて、嫋やかな女をうとりと見遣る。

「う…………」

　目を剥きざまに飛び退った。いかな淡いの暖かみで、不可思議で美しきの容姿だとても恐らく、その形状ほどの威力を女に与えたものはなかったろう。一挙に1メートルほど後ろに下がって、穏やかに顧みてきた瞳に逆の硬直の目を返したとも。人の様子に、巨大な獣は唸るでも牙を剥くでもなく、ただただ悠然たる面持ちでもって眺めていた。はたりと悠長に尾すら振るう様子は、野性の獰猛さの欠片もない。
　周囲を落ち着かなげに見ては、ほどなく手早く手提げでもっていた籠へと片手を突っ込んだ。摘まみ出した黒猫、ラウ。若干、いや、結構眠そうな。お疲れ仕様を醸し出している。

「………ほら」

　そっと地面に下ろすなり、ラウはきっと狼をチラ見し、主へと半目を向けつつも。拒まれねばその脇を抜けて、門の内へとその下から滑り込んでいかんとした。

「………クゥ」

　……が、俄かに取り出された妖猫には不思議そうに目を瞠った。そうし、眠たげな眼の小さな妖猫が女の手より放たれれば、己が横をてちてちとすり抜ける様子を横目に眺め——…て、徐に前肢の片方を伸ばし。そして、ぺちょりとラウを踏み潰した。
　否、正確には上から柔らかく押さえつけただけなのだが、この様な巨躯だ。傍目から見れば踏み潰した様にも見えるやもしれない。
　其れでも獣は構いなしに、押さえつけたラウをつついと引き寄せて自らの腹の下に押し込もうとした。まるで手前の子供かお気に入りを隠したがる様に、ぐいぐいと。
　———いかに、温厚そうな顔を見せたとて。いかに此の世のものではないかの玲瓏を醸し出したとしても、やはり、

「っ、ラウ……！」

　おもむろに動き出した巨躯の前足を見ては声をあげる。猫の方はといえば、実に億劫そうな動きでもって降ってくるそれをかわした。お戯れなさるな、とばかりに半目を今度は白狼の御仁へ、声をあげて尚も家の中に向かう。
　狼の腹下にラウが近づいた瞬間、雪白の毛皮の中からずぼっと生えた人の腕。有無を云わさずラウを捕らえに掛かり、——遅れて本体、もとい上半身が生えた。巨狼の下からにょきりと食み出た。うとうとと厚着をする妙齢の少女見つめ、

「……………すまない、数分の仮眠のつもりだった」

　狼の腹下からでろりと伸びた、腹這いの姿勢でそうのたまった。ガタイの良い、角を生やした男性。
　デビル。以前物理契約したエンブリオの一体だった悪魔、否、妖鬼の一種……なのだが、斯様な自らにあの手この手を出して来ようとするため、1日で解約したモノ。
　堕ちた世界、アンジニティという場所から世界を渡ってここにたどり着いたらしい。

「あの時は何だ。魔が差してな。……。今は何もしない。取り敢えず、其処に」

　座りなさいな、なんて促しながら。

「……分かり、ました。……その」

　そうして巨大な白い狼を見上げる。どうにも、あれが気になって仕方ない。
　伏せの形で居座る獣の腹をソファ代わりに凭れ掛かって、乱れた髪を撫で梳き。蕩けた瞼を何度か擦って睡魔を払う。
　後足を折り、示された場所から随分離れた場所に腰をおろした。正座で向き合う形をとって、問いが向けられた途端。くしゅ、と方目を擦りつつ。幾らか眠気の晴れた黒色は、武骨ながらとろりと柔らかな色味を帯びた。

「……あぁ、アレの事は気にしないでくれ。キラーウルフ……いや、そのキャパシティから外れた『幻獣』の類だよ。だが噛みやせぬし食い殺しもせぬ、私の寝台の様なものだ」

　黒色が告げるや、獣は何ぞ悟ったかの様に伏せの姿勢のまま、ふいっと面を背いてそっぽ向いてしまった。どうやら獣の割りには知能が高い様子——せめて話の場では面を背いて、唯の毛皮のソファで在る事を努める心算。
　そんな利口な獣のソファに寛いだ男は、漸く眼を擦る仕草を止めてぱちぱちと双眸を瞬く。

「……すみません。どうにもその……幻獣、というのは苦手で」

　硬い聲にて『苦手』と称するのに躊躇はなかった。そして言った事でかえって楽になったように、首を背けては白い毛玉と再び化した獣の方には目を向けず、その手前の相手へと姿勢を向き直らせた。
　男は苦手らしい聲には何処か納得した様に「嗚呼。」とだけ頷いた。
　くたり、くたりと小頸を左右に揺らしながら、噤む間も無く問いを連ねる唇を開き、

「まだめそめそしているかと思ったがそうでも無かったか？」

　存外、強かに暮らしているらしい。それを意味するのは親が子を心配するかのような聲。当の本人からすれば、云われる由縁もないことなのでむっとした表情に。

「一揆……が起きてから、この世界は荒れに荒れて混沌としている。現住している俺らも大層面倒よ？　俺も新しい契約主探さないとおまんま食いっぱぐれだしよ」

　とりあえずその性格さえ直せばいかようにもなる。

「……混濁としている現状。異世から流れ着いた人も大いにいる現状。……あなたはこれを善しと思っていますか？　一揆で起こり得るモノガタリだけがすべての本質ではない」

　——言葉が途切れたのを切欠に、ことりと頭が縦に揺れる。最早裁きの刻を待ち構える人の様、重く垂れ下がった頭をじっと見据え、やわく蕩けたままの眸はぱちりと一度だけ瞬いた。

「——貴方も知っての通り、此処と貴方方の在る世界は違う『異世』即ち異世界。
……貴方は族を抜けたはぐれものだと聞き及びましたが……抜けた貴方なら解るでしょう。此処と、異世の違いを。族の常識は異世の非常識にも成り得るし、族の不可能は異世の可能にも成り得る」

　ねぇ？　と同意をねだる風、斜めに浅く頸を傾いでみせるが……見えてはいない、か。傾いた頸はすぐに起こされて、頬に掛かった横髪を軽く後ろに払い投げる。
　傾げられた首、見えずともその言葉の響き。あるいは意味合いで感じ取った。

「…そうだな」

　眉間に深く皺を刻んで、苦々しい面もちで短く応えた。それ以上でも以下でもなし、またはそれ以外に答えられぬか。　そして続けられた言葉に、そっと顔を持ち上げた。

「……最近、何かと調子が悪くてですね。貴方の様に、心の強い者がいてくれると助かります
　……正直、まだ私はふらふらしていて力もかなり制限されているんです。だから、頼る人もいない、だから……少しの間だけ、助けて下さい。妖鬼」

　掌を通じて、絶える事なき命の音を聞き。その指で、髪に飾ったましろの花の花弁を撫ぜてから、ほんの小さく呟いた。笑みに含まれた自嘲の色すら褪せるくらいに、小さく。小さく。

「了解よ、妖花《元マスター》」

　彼はくつくつ笑いながら、了解の意を唱えた。


　暑さ熱し冷ませずの夜は、もうすぐ訪れる。

少女の触った尻尾の感触は蛇のような滑らかな肌触りだっただろう
緑の鉱石には触れなくとも、それが近づくものを喰らおうとする圧力を発し
それが"武器"として露出していることがわかるかもしれない

万已楽当人もその危険性がわかっているのか　あまり動こうとせず

と、様子を眺めているようだ
しかし、じっとしているのも苦手なのか　質問を投げかける

遭ったことはあるかもしれないと笑う。

ちょこんと首を傾げて、

驚いた。ふと後ろから声をかけられるのには実は慣れてない。
しかもいきなり突然現れた。

あなたの手のひらの表裏を交互に見つめながら、花の香りを楽しむのでした。

相手の言葉を復唱しようと試みたものの、ああなんだか思った以上に複雑で、右がなんで左がなんだったか。

自分の記憶力の無さに溜息を吐きつつも、そう言って頭を軽く下げた。
買い物も満足に出来ないとは。

相手からの承諾を受け取ったので、伸ばしかけていた手をもう一度伸ばし、猫の頭を一撫でしようと。

とかなんとかぼやぼや言ってから、名を尋ねられると、

しゅたたた…！！

↑ＤＥＸ値が最も高い蟷螂丸が、偽さんを助けました。

フッ…。

こぽこぽこぽ…。

笑みを返すことすらなく、眉間に力の篭った怪訝な表情。

ほんの一瞬、目前の男から視線を外して空を仰ぎ見る。
目を細め、一息吐くと、再びその瞳は男へと向けられた。

声は相も変わらず平坦だ。
ただ、少しばかり、面白がるような色も含まれているかもしれない。
隠されてはいないその真意は、しかし窺い知るにはあまりにも感情が薄い。

そう零してから彼女の説明を聞いて、ふむ、と軽く視線を落として。

　突拍子も無く言われ、きょとんとした表情を返した。
　何がだろうか、と思考を纏める間もなく、眼前に花。

　言うなればエンブリオではなく魔力のような力を、受け取った昼顔から薄らと感じながら、そう問いかけた。

突然の問いかけに振り返る

その声に、その白に、驚いて言葉を失う
それがいけなかったのか、こちらが答える前に事情を説明し始めた。

彼女の話が一段落したところで、答えはじめる
それにしても・・・

家族以外の女の人と話すのはいつ以来だろうか・・・
まして、手を握るだなんて・・・
差し出された手に、握手をしようとするが、緊張でどうにも動きがぎこちない

相手と味方を交互に見て