誰にも気が付かれないように溜息をつく。
このメルンテーゼに着いてからの失敗続きに、私自身呆れているのだ。

気が付いたら、D3の一つが光の精霊らしき何かを取り込んでいた。(1つ目。これが諸悪の根源)
一揆の裏を取る暇など無いままに、 ラルフの試験は始まっていた。(2つ目。何かを取り込んでいなければ、資格は無かっただろう)
結局、情報収集の時間は無く、世界の解析はロクに進んでいない。(3つ目。一揆に巻き込まれていなければ、時間は取れただろう)
——その為、次元干渉の最適化及び一部構築はまだ終わらない。(4つ目。環境データが揃わないので、終わる訳もない)
調整と調査、試行に考察。そして戦闘。 せざるを得ない同時進行。(5つ目。現状でのリソースの分散は悪手でしかない)

花屋敷の面々と会うことが出来たので、悪い事ばかりではなかったのだが、
気が滅入っていたとはいえ、アレは無かっただろう——初対面の人間に「顔が怖いのね」等と言う迂闊さは。
理屈は後から何とでもする私自身の性分が、此処までの悪手を打ったのは久し振りだった。
第四保健室に居たあの頃の、生徒に評判だった笑顔の仮面には、暫く使っていなかった故に埃を被せてしまった訳だ。

「君は、良い科学者か？　それとも——」
(人間関係、初対面が大事。ほら、心の距離はあんなに遠く——)
等と思いながら彼等を見た時、その瞳に、ふと昔を思い出された。
私もあんな眼をしていたのだろうか、と…


自らの過去を思い、分析すると、今の性格が形成されたのは奇跡であったのでは？　と良く思わされる。
少なくとも、ローティーンとして過ごした2年を知る者からは、想像も出来ないだろう。
もっとも、その頃の知り合いと会ったとして、お互いに気が付くとは思えないのだが。
そんな12、3歳として過ごす事になっていた頃の、生まれてから1、2年の頃の私は、
鏡の中から自分を見ている眼を、何とはなしに覚えていた。


古くから続く神道系のその家は、とある災禍調伏の際に多くの者が帰らぬ者となった。
その為、宗家の血を絶やす事無く後世に残さんとする者達に、既に宿っていた当主の子は希望であった。
何せ、直系の血筋の残りは当時の主を除くと、齢百を超えた一人しか居なかったのである。
それに加え、当主である彼女は生来病弱であったが故、尚更だった。

危険が予想される出産の為、ありとあらゆる方式の、様々な術式に拠る保険がかけられた。
しかしながら、そんな保険は不要とばかりに、何事も無く出産は母子共に無事に終わり、一族の者は安堵する。
そんな、ある種弛緩した空気の中に大婆様と呼ばれる老婆が、お共に連れられて現れた。
魂と本質を見通し、真名を付ける役目を持っていた老婆は、
——赤子を見た途端、体のあらゆる所から血を噴出し、倒れたのである。

『魔を為す禍にして化生——魔那禍』

老婆の死に際に残した最期の言葉である。
後に言霊を宿らせた真那霞という魔名で、真名を封じる事になる神彅家の長子は、こうして生まれ名付けられた。

赤子を前に言葉が飛び交う。

曰く、主に知られる前に代えを用意せよ、と
曰く、何かを為す前に、速やかに殺せ、と
曰く、厳重に封印せよ、と
曰く、魔を払える様になるまで封じ、後に殺せ、と


結論から言うと、当時の主であった母の付き人が、始末される前の私を人買いに売り払う事で逃したらしい。
母への敬意的な感情からなのか、哀れまれたからなのか、ただ単に金に変えたかったのか。
今となっては知る事は出来ないが、どんな形でも生きていられた事に、今の私は感謝をする事が出来る。


点々と買われて行き、最終的には流れ着いていた場所は、有り体に言えば魔術結社 —それも極悪の— だった。
なんらかの母体とする為の素体として買われたのが、まだ救いであったのだろう。

人と何かを掛けあわせ、既に何も見ていない ナ ニ カ
原型を留めていないのに、瞳に意思を宿した ヒ ト
所々が腐り堕ち、白い物が見えるが放置されている モ ノ
鋭き板状の物を胸から生やし、赤き液体を流し続ける ニ エ

ソコにはそんな物が溢れていたのだから。

行使されたのは神秘とも言うべき術 —時の前借り— だった。
此処に連れられた時に赤子だった我が身は、たった1年で12年分の成長をさせられたらしい。
積む筈だった経験という名の知識も一緒に得られたのは、有難い事にもその術の影響らしい——嬉しくともなんとも無かったが。
大きな試験管とも言うべき透明な柱の中に、プカプカと浮きながら成長させられていた訳だが、
何時からか外の光景を見る事が出来ていた。
まあ、体を大きく動かす事は出来はしなかったし、正直な所、外に興味はなかったので、
何となく見ていただけなのだが。
それでも覚えている——私に向けらていた瞳を、そして、その瞳が何を語っていたのかを。

ある日、外に出る事が出来た。
遠隔で体のコントロールを奪えるチョーカーを付けていた上に、監視は居た訳だし、結社所属の者の子供が多く通う場所だったようだが、学校に行かされたのだ。
積む筈だった経験は、データとして頭にはある。しかし、身についてない物を駆使できる訳もなく、社交性は皆無だった。


この時期の私が良い学生生活を過ごしたとは、お世辞にも言えない。
周りの人間も、あまり良い気はしなかっただろう。
それでも、今の私がこうしているのは、この時期のお陰であると思う。
——教師の資格を取りに行ったのも含めて。


外に出して貰えたのは2年程だった——また試験官の中に戻る。
成長したと言う体の情報に対し、脳や魂が追いついていなかった——らしい。
その結果、必要とされたある機能を体が為さなかったが故に、外に出ることが出来たようだ。
——当然といえば当然なのだろう。
その機能こそが、彼等が私を買った目的だったのだから。

何も知らなければ、此処に居る事も苦痛ではなかったのだろう。
外の世界を知らない、籠の鳥のままであれば、この境遇に何ら不満を抱くこともなかっただろう。
それからの一年は、行使の再開された術の影響もあって、苦痛に満ちていた。

鉄の臭いがする。

体の中から痛みは消えず、その原因の終わりと始まりの間のみ、術式の影響下にあった。
供給されている筈の栄養素が常に足りていないという錯覚に陥り、頭痛や吐き気に常に侵食される。
泣き叫びたくも満ちた液体の中では声は出ず、頭を抱えたくとも腕は固定され動かすことは出来ない。
それでも体を捩って動こうとすれば、気絶寸前まで酸素の供給が止められた。
そして、そんな中でも容赦する事なく、頭の中は知識に犯される。

外に出る前は、理解が出来なかった。

知らなければ、望みはしなかった。

今は違う——籠の外から見える物が、何を示すのかを経験してしまった。




私が母に会ったのは生まれてから4年ほど経って、今の身長まで成長させられた状態で私が発見された時である。

結局の所、結社はいわゆる正義の味方が潰したとの事だ。
ロクに理解の出来なかった3年間と、苦痛に満ちた1年間。
そんな日々は、あっけなく終わりを告げた。