話すことは苦手だった。
言葉を発するのは何を言えば良いか分からなくなるから。
一生懸命考えて話そうとするが、話すこと、言葉を発する事に集中しすぎて
結局喋る時には自分が何を言っているのか分からなくなる。

じっと考える。

これは嫌いではなかった。
考えるだけだと自分の考えがとてもよくまとまった。
手に持った本のページを一枚めくった。
文字は難しいから読めない。
だがこの本には絵がふんだんに使われていた。
カタリナがこれなら自分にも読めるだろうとくれたものだ。
書かれていることの細かい部分は分からずとも、絵から発せられるメッセージを一生懸命読み取る。
けれどやはり頭は良くないから難しい事は分からない。

今だってそうだ。

結局カタリナについて行くと決めたが、新王を倒す意義があまり分かっていない。
エンブリオが使えなくなると今まで使って来た人が困るから。
フォーマルハウト、カタリナが生まれ育った村。
自分に置き換えればウィミノイウェーブと同じ意味だろう。
そこの人もエンブリオが使えなければ海獣を狩るのに大変苦労しなければならないらしい。
それは大変だとは思う。
だけど、それでも分からない。
今まで自分はエンブリオを持っていなかったから。

エンブリオを持っていなかったから、人畜になれたのだ。

今はゴレムのお陰で以前よりも強い力を出せるようになった。
普通に殴ったり蹴ったりするよりも威力が強いのが分かる。
なるほどこれがなければカタリナの住んでいた村では苦労もあるだろう。
止まっていた手を再び動かしてページをめくる。
色とりどりに彩色された絵が現れる。

ゴレムがいるから、自分はもう人畜に戻る事は出来ない。
寝て起きて。
海を掘って土をすくって積み上げて運んで。
豆のスープを食べて寝て。
そしてまた起きて海を掘って土をすくって積み上げて運んで。
その生活はもう手に入らない。
ドニィもいない。
もう誰も自分を生かせてくれる人はいない。
森の中の時のように自分で考えて動かなければならない。
寝て起きて。
水を汲んで肉を干して木の実を取って。
時に獣を狩って肉と骨に分けて。
ああ、これは良い。
本に書かれた文字を指でなぞる。
なぞってもその文字を判別する事は出来ない
だがそこに添えられた絵が良い。
これなら何が描かれているのか分かる。

「ラァギット」

自分を呼ぶ声に本から目を離した。
眼前にはアレジッタの姿がある。
その顔は不機嫌に歪んでいたので、どうしたのかと首を傾げてみた。

「ずいぶんとぶっそうなものを見ているね」

何の事かが分からず再び本に目を落とす。
上手に描かれた絵が目に入る。
再び顔を上げて首を傾げた。

「だってそれ…料理本だろう？しかもさかなのページだ」

アジが指差した絵はおそらく魚のおろし方を示した本だ。
頭を左に、その直ぐ傍にある切れ込みの様になっているところから刃を入れる。
そうして頭を落として…と文字は読めずとも絵で分かりやすく説明されていた。
文字が読めないと知っているカタリナから貰った本だった。

「ここ、これ。旨そう、だ。この赤い、辛い、これ、買う。これ、お湯、上の。湯気。それで…」
「ああもういいから！ぶっそうな話はやめておくれよ！」

時折ウィミノイウェーブで食べていたものがこの本には書いてある。
赤くて辛い実。
茶色くて噛むと甘い味のする匂いの豊かな木の皮。
木の葉、乾燥させた実、色々載っている。
どれもこれも懐かしいものだ。
森の中では手に入らなかった物。

「とにかく！僕はたべものじゃあない！」

アジの言葉に本をパタリと閉じた。
その本を片手で持って立ち上がる。
ぐんっと視界が高くなる。
アジの顔が自分の随分下になった。

「なら魚、取る。しろ。干し肉、少ない」
「なんで僕が。きみがとればいい」
「カタリナ、買う。肉。あれ、干す。アジやる、か？」
「…このあいだみたいにおおきさは問わないでおくれよ」

そう言ってアジはぶつぶつと何かを呟きながら川へと向かった。
川は海とは違って魚の味が全然違う。
海を掘るのにずっと下を向いて、ふと顔を上げた時に見える景色。
どこまでも広がる青い海と空。
この大きな体で大きな手を伸ばしても決して端まで届く事はない。
どこまでもどこまでも。
ずーっと広がるあの景色はあの頃の自分の唯一の楽しみだった。

遠くからカタリナの足音とケチェの羽ばたく羽音が聞こえる。
本を大事に袋にしまう。
とりあえず今日の飯はアジが取ってくる魚を煮込もう。
少しずつ買い集めたハーブと呼ばれたりスパイスと呼ばれたりするものを使えば
川魚特有の匂いも取れるだろう。
カタリナの荷物を受け取りに歩き出す。

目を閉じればドニィのところで食べた豆のスープが浮かんだ。

つまみ食いするかと言われば頷いて