国王側のものであろう兵士たちをなぎ倒して暫し後、練習試合——いわゆる肩慣らしだ——の相手を探していた。方々より叛乱の参加者が集まった簡単な集落のような場所、食事と休息を終え、軽く動かんとしているところ。
　いつものように準備運動程度できればいい、そう考えていたアリスの意識に、不意に嗅ぎ慣れた匂いが飛び込んできた。アリスの主人を縛る闇を、ゼペット家の影を彩る忌々しい匂い。ほんの少し香るだけでねっとりと舌で舐ったような感覚すら想起させる、こびり付いて拭われぬままの血の匂い。
　匂いの主は間近にいた子供であった。着のみ着ままという風の格好で、愉快そうに笑顔で佇んでいる。視線に気付いたのか、こちらに向かって笑いかけてくる。それがあの蒸気の国の暗部に垣間見えるものと重なって、思わずそちらを睨むようにして見返してしまう。

「……おい、アリス？」

　レオンに声をかけられて我に返る。そうだ、ここはメルンテーゼで、目の前にいるのは一揆の参加者だ。今いるのは蒸気の国でもないし、この子は殺しを生業にする汚れた一家の末裔だなんてこともない、はずだ。かぶりを振ってから踵を返し、子供に背を向けたままレオンの後ろまで歩いて下がる。
　少し傍に主がいないだけで、あの蒸気の国の暗部の匂いに、これだけ不安定になれようとは。その事実がただただ情けなくて、感情をゆっくりと噛み潰すようにしてアリスは瞳を閉じる。今はまだ幼い刃たる主人も、いずれはこのように血に染まる日が来てしまうのだろうか。主を証明するその姿が見えないとどうしても不安が拭えなくて、気付けば片手はポーチへと伸びていた。

「何かあったなら言えよ。短い付き合いかもしれないけど、その前にリタイアされても困るからな」

　背中を叩いて諭される。ポーチへと伸びていた手を止めて、胸の前で丸めるように握り締めた。どこまでを受け止めてくれるかはわからないが、それでも自分だけで抱えることはないのだと思うと、少しだけ気が楽になる。

「……はい」

　閉じていた瞳を開いて、小さく頷いた。うん、とだけ彼は言うと、アリスの頭をくしゃりと撫でて、同行者のもとへと歩いていく。背の高さゆえにちょうどいいところにあったのだろうが、いつも小さな主人の傍にいるアリスにとって、それはひどく新鮮な感覚だった。
　この歳になって少し気恥ずかしくはあるが、大きな手に撫でられるのは存外悪くない。今度ご主人様にもしてさしあげよう——そう考えたら、傍にないその存在のことも、会えるのが楽しみだと思えた。

無言で相手を睨み付ける。

手中に爪を隠し、何事もなかったかのように手指を払う。

眼前の子供から漂う匂いに、不快そうに顔をしかめた。