シュシュリも、眠る。当たり前のことだ。人である。しかし、エンブリオは、眠らない。少なくとも、シュシュリのエンブリオである海棠は、最近まで、眠ったことがなかった。そもそも、眠るということが、分からなかった。シュシュリが言葉で教えてくれたことがある。心地良い泥に沈んでいくような感覚らしい。それで、目覚めると、自分の中が洗われたような感じがするといった。海棠にとっては、皮肉なことに、まさしく夢のような話だった。ずっと眠ってみたいと思っていた。その願いは、今、叶えられていた。シュシュリの血潮の中で生きているからだ。シュシュリが緊張すれば、海棠も緊張するし、シュシュリが安らげば、海棠も、安らぐ。シュシュリが眠っているときが、最も安らいだ。いつの間にか、時間が流れていて、気づけばシュシュリが起き出していることもある。それが、眠ることなのだと気づいた。不思議に、感動はなかった。シュシュリと近づけた、とは感じたが、それだけだった。ただ、嬉しいことではある。
　不思議といえば、眠る理由だった。眠って安らぐのは、明日のためだ。ずっと眠っているわけにはいかないし、人間はそういう風にできていない。そこまでは分かる。しかし、眠りの安らぎを捨てて、シュシュリのように、戦へ赴く人がいる。死ぬかもしれないのに。信じられない。そう海棠は思う。なぜ、そうも生き急ぐのか。エンブリオは、人より自然に近い。自然では、生きることも死ぬことも当たり前で、受け入れるものだが、進んで死ぬことは、少なくとも海棠にとっては、自然ではない。海棠は、分からないとシュシュリに聞いた。聞くことは恥ではないと言われて、よく尋ねるようになっていた。尋ねられたシュシュリは、人は死に囚われていると言った。だから、生き様にこだわるのだと。人は、自分が生まれることを知らずに生まれ、やがて、死が身近なことだと気づくため、死ぬまでの生き様を求めていくらしい。聞いても、分からなかった。死は、必ず訪れるが、どこにでもある。あるとき目の前にあるのか、少しずつ近づいてくるのかは分からない。そして、死ねば、その後には何もないのだから、特段に意識することの必要性を感じない。シュシュリは、充足したいと思っているらしかった。それが父や天に恩を返すことらしい。つまり、自分以外のことがある。海棠には、それがない。だから分からない、ということが、分かった。ただ、分からないままでいいと思っていた。海棠は、シュシュリのことが好きだ。今、シュシュリの周りには大勢の人が集まっているが、シュシュリの方が、ずっと好きである。好きなのは、大事なことで、シュシュリの分からないことや、納得のいかないことも、許せるのだった。そう思ったことは、永く生きてきて、一度もなかった。だから、シュシュリと共に生きることにした。少し前——人間にとっては、ずっと昔に決めた。シュシュリが死ぬときに、自分も死に、シュシュリが死に瀕したならば、シュシュリを生かすために死ぬ。海棠は、そう決めていた。海棠にとって、それこそが生き様であるということには、彼女自身、まだ気づいていない。口に出せば、シュシュリがどうあっても反対するから、海棠は言わない。だから、いざそのときまで、海棠が自分の生き様に気づくことは訪れない。海棠が、自分の終わりを決めたときに、生き様は定まった。その終わりというのは、死を自然として受け入れる彼女ならではの、きわめて献身的なものである。そして、今日も、二人は仲良く、食事をつくっている。
　さて、海棠の目下の懸念は、シュシュリの契約した新たなエンブリオである。傷を癒すためのエンブリオとして、海棠に比べると、シュシュリはわずかに生命力を費やしているに過ぎないが、二体目である。話すことは得意ではないから、まだ、挨拶しかしていない。海棠より年上の女に見える。シュシュリよりは、若い。それが、シュシュリの肌に触れて、傷を癒している。そういうことは、海棠にはできないので、見ているしかない。よく分からない思いがある。ただ、シュシュリの身の回りの世話は、海棠にしかできない。だから、見たことか、と、海棠は、内心で思っている。しかし、いつかシュシュリの傷を……シュシュリだけの傷を癒してあげたいと企み、無言で新たなエンブリオを観察している。