「——見つけたぞ！」

　"るりあんな" と "らるふ" が、次の試験会場に去った直後だった。

　さてこの先如何にせん。と、軽くため息をついた処で、不意に背後から叩きつけられた声。
　何事ぞと振り返り、心底うんざりした気分に襲われた。

　そこに居たのは、赤い野球帽に青い綿入りの上着を羽織った若々しい青年。

「封牢狐の魔獣め、ここにいたか！ ……今度こそ、お前をゲットしてやる」

　見覚えのある相手だった。

　彼こそは、水晶の檻から解き放たれて最初に邂逅せし人間。
　そして、ツヅミの妖尾が変じた "魔獣" を首輪で繋ぎ、隷奴の如く使役していた不届者。
　出会うなり、挨拶も手土産も無しに「俺のものになれ」と来たものだ。

　腹立ち紛れに速攻殴り飛ばし、妖尾を取り戻したのは つい先程の事である。

　実力はあるのだろう。本体と切り離されて久しいとはいえ、我が妖尾を屈従させる程であるならば。
　真っ向から立ち会っていたならば、妖力の尽きている自分などひとたまりも無かった筈。

　だが、運が悪かった。
　彼が操る金色鼠型の "魔獣" は、ツヅミの尻尾が変化していた、仮初の命であったのだ。
　もちろん偶然ではない。ツヅミの目覚めに合わせて、身近な妖尾が気配に引き寄せられたのだろう。
　運の悪さとは、彼が所持していたという偶然のことだ。

　そしてツヅミは、労せずして尾の一本を取り戻す。

「ふん。僕を気絶させただけでは飽き足らず、可愛い魔獣まで奪っていくとは……。
　泥棒め、絶対に許さない！」

　許さないと云われても困る。
　だいたい、原因のほとんどは己の自爆ではないか。
　千年離れていようとも、自分を殴れと命じて素直に聞く莫迦な尻尾がおるものか。

「逃げても無駄だぞ？
　例え火の中、水の中、草の中、森の中、土の中、雲の中、あのコのスカートの中でも貴様を見つけ出してみせる。
　——来い、タヌ吉。貴様に決めた！」

　青年が、紅白に色分けされた謎の球体を空へ放り投げた。
　ぱかりと双つに割れ、出現するは狸姿の従獣。

　使役の契約術は、契約主に莫大な負担を強いる。
　持続には精気を与えねばならず、世話もせねばならず、不平等な屈従契約ならば叛逆される畏れもあるからだ。

　感服としての驚きと同時に、自分の甘さをも痛感する。
　彼が、我が妖尾を他にも使役していたとしたならば？
　気絶している相手を身ぐるみ剥いで調べなかったのは、情けというより迂闊の域であろう。

　狸姿の従獣は、残念ながら妖尾の変化では無いようだった。
　少しだけ、ほっとする。

「いけ、タヌ吉。百万デシベルだ！」

　指令に応じ、狸は膨れたお腹をドンと叩く。
　わずかな間を空けて、突然吹き荒れる凄まじき轟音。
　ごぉぉ、ん。と、鼓膜を突き破りかねない威力の衝撃が、脳を強く揺さぶった。

　三半規管が眩暈を起こしたらしく、うまく平行を保てない。
　昔、化狸によくやられた手だった。狐の大きな聡耳には、とても効果的な技なのだ。

　戦闘の勘が鈍っているのを感じる。

　——ある意味では、狸は契約主に恵まれていると言えるのかもしれない。
　式神を熟知する術者は、場の状況を見定めることを旨とする。的確に、効果的に、機を捉えて術を行使する為だ。
　式神自身の判断力に加え、従者の判断を与えることで力量は二倍にも三倍にも跳ね上がる。

　かつては自分にも、その様な "主" がいた。だから、分かる。

　分かる、が。
　彼等の関係は、とても良好とは言えそうになかった。生気無き虚ろな瞳は、屈従契約の証。
　首に巻きつけている金色の縛環。緻密な術理が刻まれて、狸の意志を縛っていると見て取れる。

　"天に斉しき" とまで称されし "美猴王" ですら抗えなかったとされる、神仏級の捕縛法具。
　いまや物語の中でしか知られない伝説の宝具だが、ツヅミは一度だけ同種の本物を目にしたことがあった。
　否。縛られた記憶があると云うべきか。意のままに暴れる妖狐を従える為に使われた。

　狸が身に着けているのは、当然本物ではない。そもそも "緊箍児" は首ではなく額に嵌める縛環なのだから。

　続く、狸の音波爆撃を掠り気味に躱しながら、ツヅミはぎりりと歯噛みする。

　なんと、なんと無惨なことだろう。
　異種族が対等に笑い過ごす夢を見た、"彼" が知れば大層嘆くに違いない。

　起きて、創めて目にした世界。
　世に獣人が多く溢れているのと思いきや、蔑視の感情、畏れの気配、異質に目を逸らす人々の多きこと。
　もちろん全員ではない。一部の者だけが持つ嫌悪感に過ぎない。
　だが、未だだ、獣と人が対等に並び立つには程遠いことは見て取れた。

　難しいものよ。"彼" と "我" が創始せし組織、"ホケン・ジョー" の理想は、先の世まで根付きはせなんだか。

「お前ほどの獣人を従えれば、あの方にも認めてもらえる筈だ」

　妖狐の嘆きを余所に、衝撃は唐突に訪れる。
　魔獣使いの青年は、２個目の封印球を手に掲げながらニヤリと頬を吊りあげた。

「そして俺は、憧れの "ホケン・ジョー" 大幹部にゼッタイなってやる！」　

言葉が通じないという事実に驚かれるのも少しばかり慣れてきた頃。
目の前の……獣耳や尾の生えたような所謂獣の類にも、少しは慣れた。
とはいえ、やはりはじめの一言を紡ぐのは未だに少しだけ抵抗があるのか、表情は曇り。

ただ、目の前に差し出された飴を見れば目を丸く。
伏せていた顔をあげれば、そろそろとそれを受け取ろうと手を伸ばす。

短い言葉を、やはり相手には通じない言葉を一言。
そして、ぺこり。頭を下げる。出来るだけ笑ってみせた。

反射的に動きを止めたが、振り向かれてすぐにふら付いた。

スッと、黒紫の瞳が細められる。

（外見と喋り口とのギャップに戸惑ったような表情を見せ）

（褒められたのがうれしいのかでれっでれで愛馬の首筋撫で）

2人はツヅミと名乗った女性の態度にも特に動じる様子は示さない。

ハルは考え事をしているためか、動こうとしない。
一方トガノもトガノで少々考えるような素振りを見せたが

すぐに微笑を浮かべて右手の手袋を外し。
その手をツヅミに向かって開いたり閉じたりしてみせた。

ハルはまるでトガノの挙動を監視するように、手から腕にかけてを見つめている。