星々の光を編んで流れていく川の流れを、岸に座る私はじっと見つめていた。
こんなに美しい情景なのだから、私の頭の上にはきっと綺麗な星空が広がっているのだろう。
私はそれを見ようともせずに、ただ俯いて輝く水に視線を落としていた。

　昨日だけで二回戦った。その位で疲れるほど、私はまだ落ちぶれてはいない。
何かあるとしたら、フィアだ。あの子はまだ戦闘に慣れてはいないだろう。
本来であれば、経験を積んだ私が彼女のフォローに回らなければならないのだが。

「……」

　手をぎゅっと握り、瞳を閉じる。『契約者』の存在を思い浮かべ、力を込める。
『アニマ』——ルナの名の許に異なる者の技を此処へ。『インパクト』。
心の中でそう呟き、一気に魔力を巡らせる。が、空回りするばかりで、技は出ない。

　確かに『月』であるアニマと、『星』である私の属性相性は良いのだろう。
しかし、私が今まで使ってきた技術と、エンブリオ契約で得た技は、そうではない。
『向こう』の技術の応用が利かない以上、私の力は振り出しに戻されたのと同じ。
今の私は、多くの人々のように力の扱いに慣れていない一般人に等しいのだ。

　川の中の星が瞬く。かつて『スプリゲート』でも見ていたように。
ああ、こんなにも暗い夜だから、ひときわ強く光が届いているのだろう。
『星』は私の力で、私が生きてきた中で道標になり続けた物だった。

　でも、この世界ではそうではない。
この星々は私の味方ではない。輝きは私にこれっぽっちも力を与えてはくれない。
遠くの空から見守ってくれてはいない。手を伸ばしても、届きやしない。

　そうだ。私は持てるすべてを向こうの世界へ置いてきたのだ。
過ちも、繋がりも、希望も。だから、『力』も失って当然だと言えるだろう。
皮肉か嘲笑のように星は瞬き続ける。だから私は、空を向けなかった。
夜空を見上げたら、道具である私の意味さえも失ってしまいそうだったから。

　……悲嘆に暮れても、明日はまたやってくる。
夜が明ければ私はまた武器を取り、『持ち主』達のために戦い続ける。
だから、『力を持たない』なんて事は、許されてはいない。
その過ちを犯さないためなら、私はいかなる痛みでも惜しみはしない。

　右脚のホルスターから、相棒である『ブルート』を抜く。
唯一私が向こうから連れてきたもの。生き長らえるための手段の全て。
呪いと絶望を吸い続けた、死ぬまで背負わなければならない十字架。

　『それ』の術式は、かつて私が血を希釈した液体で描いたものだ。
あれからこの短剣は数え切れないほどの血を浴び、無数の怨嗟を蓄えてきた。
だとしても。『持ち主』の血が、一番の餌になるはずではないかと思う。

　パーカーの左袖を捲る。サイズの合っていないコートも、同時に持ち上げる。
そうして外気に触れた私の左腕に、す、と『ブルート』で浅く傷をつけた。
痛みはあまり無い。もうこれをするのには慣れ切っているから、コツは分かっている。
数秒も待っていると、薄く裂けた傷口から、つうっと赤い血が伝い始めていた。

「……」

　血の流れに『ブルート』を押し当てる。ずずず、という音が聞こえ始める。
吸っている。食らっている。この刃は、血を糧にして、力と呪いとを強めていく。
だから、もしも足りない力があれば、こうして補ってやればいいのだ。

　いくらでも犠牲にする。どんな物でも払って、『持ち主』に尽くす。
それは、覚悟なんかじゃない。支配される者の誇りなんかじゃない。
『当然』だから。私の持っているモノになんて、少しの価値も無いから。
だから、払って失って擦り減って、ようやく一つだけ果たせる。

　道具の未来なんて、所詮はそんな物なのだ。
力ないモノに安寧はなく、在り続ける権利さえ与えられはしない。
だから私は、生きていくために命を削り、戦いを続けよう。
無様で、意味の薄い未来を、なんとかこの手に繋ぎとめてみせよう。
それが自己満足以外に、何ひとつ生み出さなかったとしても。

　吸収され損ねた血が私の腕を伝って、川の中へと一滴落ちる。
そんな事なんて気付かなかったかのように、水の流れは綺麗に澄んだままだった。

背後から掛けられた声に、青年は振り返る。
よく見ると、肩に緑髪の小さな妖精がちょこんと座っているようだ。

ベルトに触れながら、青年はそう語る。
それに呼応するように、ほんの少しだけベルトが光ったように見えた。

そう言って妖精は、誇らしげに胸を張る。

　眩い光に照らされたかのように目を僅かに細めるだけで、男はすぐに返事をすることはなかった。
　少女の深く広がった藍色の瞳を覗き込んだまま黙り込み、何十秒も沈黙が流れてから漸く口を開いて。

　唇の端を吊り上げる。
　先程よりも僅かに鈍く、ぎこちない仕草だった。

笑顔を見せる、その刹那。少年の瞳はそれを見逃しはしなかった。
一瞬の逡巡。少年は、言葉を紡ぐ。

そう言って少年は眼を逸らす。
魔術に精通しているものであるならば、瞳の紋章からは異質な魔力を感じ取れるかもしれない。
それは、まるで『呪い』にも似た。

呼び掛けられるまま、声のする方を振り返れば、微笑を湛えた少女が一人。

常日頃より態度の内に自然と威圧的な態度が染み出し、
また、そもそも赤の人と接する機会の少ないフィンにとって、
このように笑顔を以って語り掛けられることは、極めて稀なことであった。

否、ただの一つだけ覚えがあった。

不自然なまでに親密で、笑いに満ちた態度。
そして、腹の底から漏れ出る不穏な、企みの香り。
あれは確か、花冠と共に人間の居住地へと、降りて行った時のことだったか。

嗅覚の衰えた今のフィンでは、目前の少女から漂う匂いを正しく掴むことは適わない。
しかし、その不穏な空気から醸し出される不明の違和感は、
フィンの脳裏に、己が商才の裏で権謀術数を巡らせる強かな者達の姿を思い起こさせた。

ぐいぐいとにんじんを押し付けてくる。
そのにんじんは……… 1D2 = 2 ( 2 )
１＝　ふつうのにんじんだ
２＝　どくにんじんのような斑点にんじんだ……