クーは、悪魔だ。
　悪魔だから、悪いことをするのが仕事である——というのが事実かどうかは知らないが、クーはおやつを漁る。
　おやつを漁ることこそが、彼がここ最近できる唯一の悪いことなのだった。
「ビスケットがあった」
「マフィンがあった」
「スコーンがあった」
　と、退屈なクーはフォルカーが用意したおやつの半端をごそごそと取り出してはクローシェに勧めて来る。
　もちろん自分も食べるのだが、悪いことの片棒を担がせるのが彼は大好きなようだった。
　クローシェもおやつは大好きだから、クーが（勝手に漁った）おやつを分けてくれることは大歓迎である。
　そうして結局一揆参加から数日と経たず、夕飯は要らない、とクローシェは言った。
　要らない、というより、入らない。
　つまるところおやつの食べ過ぎだった。
「本当に要らないのか？　カレーだぞ」
　飯盒で白米を炊きながら、フォルカーは困ったような顔をする。
　風避け代わりに伏せたクーの上でごろごろ転がりながら、クローシェは先と同じ言葉を繰り返した。
「食わないのか？」
　飯盒を見つめていた（絶対に蓋を取るなとフォルカーに言い含められていたというべきか）チャチャカが不思議そうな表情をして顔を上げる。
　彼と契約しているサラマンダーのサラマンは至って真面目そうな御仁で、無表情のまま主人の動向に目を光らせていた。ぎょろりと動く一対の目玉は、火蜥蜴というよりも火蛙と呼んだ方が相応しいような姿に見える。
「要らないよ、おなかいっぱいだもん」
　クローシェが小さな声で返すと、チャチャカは何か言いたげな顔をした。開き掛けた彼の唇から言葉が溢れなかったのは、単にサラマンがじっと彼を見つめたせいだろう。丁度ポンチョの影に隠れてしまってサラマンがどんな顔をしていたか分からない。
「オッサン、オイラが残った分も食う！」
　そうしてチャチャカが退いたのを見届けてから、サラマンはまろい形の鼻先をクーの背中の上に——クローシェの方へと向けて来る。
　無口な彼は何か言いたげな顔をしていたが、何を言いたいかまで、付き合いの短いクローシェには解読することができなかった。

＊＊＊

　夕飯を食べないと、今度は夕飯の時間をうんと過ぎてから空腹になる。
　夜半、ぱちりと目が覚めたのはその空腹故だった。
　絞った焚き火に鍋を掛けていたフォルカーもそんなクローシェの様子に気づいてか、読んでいた本から顔を上げる。
「どうした」
「お腹すいた」
　フォルカーはひとつ溜息を零し、栞を挟んで本を閉じた。それから大きな掌で、クローシェの頭をひとつ撫でてくれた。
「夕飯をちゃんと食べないからだ」
「うん」
「夕飯が入らないほどおやつを食べるのは、感心しないぞ」
「ごめんなさい」
　分かれば良し、とフォルカーは笑う。ひとは怖いという彼の笑みも、クローシェは恐ろしいと感じたことが無かった。
　彼は続けて傍らに手を伸ばし、小さな鍋を手に取る。
　——フォルカーがいつも使っている鍋は、入れ子人形のように同じ形の鍋が大小いくつか揃った黒光りする特別な鉄の鍋だ。どれも平たい蓋がついていて、やはり入れ子人形のように、小さな鍋は大きな鍋の中にしまうことができる。
　今回フォルカーが手に取ったのは、大人の掌ほどしかない一番小さな鍋だった。
「もう遅いから、ほんの少しだ。もちろん、明日はちゃんと朝ご飯も食べること」
　クローシェは神妙にうなずいた。
　それを見届けて、フォルカーは焚き火の木炭をいくつか追加した。更に、既に燃えている炭をひとつずつ火箸で掴まえて、焚き火に掛けてあった鍋の蓋の上に移動させる。
　フォルカー愛用の鍋が普通と違うのは、鍋の蓋の上にもこうして炭をくべることができる点なのだ。
　そして炭をくべた後は、蓋の上で小さな鍋を火に掛けることができる。
　大きな掌が慣れた様子で小さな鍋を炭の上に乗せる様子を、クローシェは黙って見つめていた。正直なところこんな夜中に食事を用意してもらわなければいけない事実を、悪いことだとクローシェ自身も認識していたからだ。
「牛の肉の、うんと硬い部分があるだろう？」
　それを察してか否か、フォルカーは鍋を見つめてそんなことを言う。
「あれを細かくしてな、よく煮込むと、びっくりするぐらい柔らかくなるんだよ」
　つまるところ今日の夕飯のカレーには、そのびっくりするぐらい柔らかくなった牛の肉の硬い部分が入っているのだ。すじ肉か何かだろう。
　——暖められた鍋は次第に良い香りを立てる。フォルカーは一度そこで蓋を外すと、鍋の中でゆっくりと暖まりつつあるカレーの中へ、飯盒に残してあったご飯を放り込んだ。
「でも、硬いからあんまり食べるひとがいない。下拵えに手間が掛かるからな。……小さいときはストーブの火が勿体無いから、」
「よく食べた？」
「そう。少し濃い目に味を付けるのがコツ」
　フォルカーは木製の先割れスプーンで、さっくりとご飯の上に穴を開ける。穴の中に卵を割り入れ、上からカレーを掛けて、更にチーズで蓋をした。
　よし、と呟いてから鉄の蓋をぴっちりと閉じる。
　その上に焼けた炭を乗せて、クローシェの方を見る。クローシェもまたフォルカーの方を見た。
「売っていても安いし、ひどいときには捨てちまってたんだ。勿体無いことをするって、クローシェも思うはずだ」
「うん」
　ある程度の時間を置いて、フォルカーは炭を蓋から下ろす。下ろした炭は元の焚き火の中へ放り込まれた。
「さ、火傷に気を付けて」
　鍋自体も火から下ろされ、持ち手に綿入りの布を巻かれた。食べる為に用意されたのは小さな折り畳みのテーブル——これもフォルカーがクーに運ばせて来た——だ。
「いただきます」
　調理に使っていた先割れのスプーンを受け取って、クローシェはゆっくりとカレーを食べ始める。上からも下からも炭火で焼かれたカレーは、どちらかというと、グラタンかドリアのような風情になっていた。
　上に乗ったチーズや鍋肌に触れていたルーの部分がぱりぱり焦げて、食べた感じもやはりグラタンかドリアだった。濃いルーの下で半熟の卵がふるふる動いている感触が奇妙といえば奇妙だ。
　けれどもそれ以上に気になるのは、
「……お肉、入ってないね」
　ひとくちふたくち、食べ進めても肉に出会わないことだった。
　卵を割ってしまわないよう、慎重に全体を混ぜて見ても同じだ。ほんのりと口の中に風味は残るのに、肝心の姿が見えない。
　それを聞いてフォルカーは小さく笑う。
「貸してごらん」
　と言うから先割れスプーンを手渡すと、チーズの層を引剥がし、しばらくカレーを漁って小さな塊を掬いあげて見せてくれた。
　——どちらかというとルーの濃度が異なる部分といった風情だが、確かによくよく見れば固形物だ。
「お肉？」
「そう、お肉」
　固形物の乗った先割れスプーンを受け取って、口の中に入れてみる。
「お肉だ」
　すると、確かにしっかりと肉の味がする。
　また慎重になって捜してみると、確かに同じような塊がごろごろ入っていた。クローシェは満足して笑い、
「ぜいたくカレーだねぇ」
　ついにそれまで手を付けなかった卵に、先割れスプーンの割れた部分を突き刺した。
　返って来る感触はあまりに呆気無く、卵の黄身の部分はすぐさまカレーのルーと混ざってしまう。こうなってみると肉の部分が少し良く見えた。やはり贅沢と言い得るだけの量が入っている。
「気に入ったか」
　問われて、うなずく。フォルカーは少しまた本を膝に載せ、ページを開く素振りを見せてから、思い出したようにまたクローシェの頭を撫でてくれた。
「明日はちゃんと朝も、昼も、夜も食べること。約束だぞ」
　クローシェはまたひとつうなずいた。
　フォルカーはそれ以上何も言わず、本を開いて再び文字へ目線を落とす。
　それを横目に見つつ、クローシェは丁寧に卵とチーズとルーと白米を混ぜ合わせてみる。口に含んだカレーは辛味よりも甘さが勝った。
　——明日はどんなにお腹がいっぱいでも、ちゃんと三食とおやつを食べようと思った。

（クーの周りをぐるぐるまわっている）

ぼか☆
サラマンの尻尾がチャチャカの頭を思いきりはたく

そしてサラマンはクローシェとクーに頭を下げた

サラマンの尻尾の炎が少女の目の前に伸びた
そこには小さな花が一輪、燃えずに浮かんでいる