事の始まりの前。そこまで時間は遡る。


錆付いた鉄の門扉は拉げてその機能を果たしていない。
鬱蒼と生えた草に埋もれるように地に転がる門を跨ぎ、少女は一部が剥がれた石畳を歩んでいく。

時刻は真昼。
照り付ける太陽が、容赦なく熱を与え、汗ばむミディアムボブの黒髪がそれでも歩くたびに柔らかに揺れる。

彼女の歩く先には一軒の館がある。
人里離れたそれは何時建てられたのか、誰が持ち主だったのか判らない。記録を知ろうとも思わない。
昔、その館には人食いの家族が住んでいたとか、怪しい実験をする狂った研究者の研究所だとか、
住む者がことごとく無残な殺され方をする呪われた館だとか真偽もわからない噂は街で耳にした。
実際、昼間だというのに周囲は森で薄暗く、威圧感を覚える館は誰の目にも不気味に映る。

だが、そんな事はどうでもよかった。
。
放置され、窓ガラスなどが無事などは悉く割れている。なるほど、これに噂が付いてくれば子供はおろか、大人だって近寄りがたいだろう。

少女はやがて館の入り口にある大きな扉……だったものの前で足を止める。扉と言うよりは木板が頼りげなく取り付けられているだけ、観音開きの右の扉の損傷が激しく大きな穴が空いて蝶番も外れかかっている。真鍮のドアノブは見る影もなく、触れば腐り落ちるように地に落ちるだろう。
長い年月の間にこうなったのだろうか。そうだとも言えるだろうが、それだけが原因ではないだろう。
翡翠色の瞳でそれらを確認した少女は侵入を試みるため損害の激しい扉に手を伸ばそうとする。


ピピピピピ————。


単調で甲高い音が、辺りに大きく響き渡る。実際、それは大音量で、人でごった返した場所でも気づくよう、設定できる最大レベルにしていた。元々静か過ぎる場所に不必要なほどの爆音を立てその音は鳴り続ける。
少女の手は扉に触れる前に音によって制止され、一度びくりと肩を振るわせたままの状態で宙で止まったまま。


ピピピピピ————ピッ。


少女は黒いスーツのポケットから赤い端末を取り出し、液晶を触った後耳に当てた。


『遅い。俺の通信には三コール以内で取れといつも言っているだろう』


少女は黙ったまま半眼で男の声を発する端末を見つめる。その瞳にも表情にも面倒くさいといった様子がにじみ出ている。
彼女は端末を強く握るとそのまま耳に押しやる。

「申し訳ありません。しかし、私も暇と言うわけではありません。何時もそうすることは不可能だと進言させていただきます」

『言うじゃないか、後輩ちゃん。俺にとってそんな戯言はどうでも良い。それで、状況はどうだ？』

「丁度、件の館に到着したところです。内部に侵入します」

少女は朽ちかけている扉を足で少し押し開けようとした瞬間、

「————！」

蝶番が役目を終えたかのように地面に転がり、支えを失った扉は館の内側に大きな音と土埃を撒き散らしながら倒れた。

「ごほっ！ごほ！」

『おいおい。貴重な現場なんだからあんまり荒らすなよ。手がかりが消し飛びました、なんて笑い話にもならん』

少女は咽ながらも、館内に侵入した。
真正面には二階に繋がる大階段……だったものがある。半ばから朽ち果てている。
円形の天窓から日の光が入り、館内は思ったよりも明るい。その分、内部の悲惨さが目に入ってくる。
投棄されたかのように部屋の隅に固められた家具たち。天井が崩れ行き止まりとなった通路。板が腐って抜け落ち、ぽっかりと口を開けている廊下。

そこは完全に廃墟。

「先輩」

『なんだ？』

「ここが本当に『現場』なのですか？このホールしか何かが入り込む余地はなさそうですが」

そう喋りながら少女は注意深く観察を続ける。隠し通路、抜け穴の類は存在しなさそうだ。そもそも床には自分のつけた靴跡だけがくっきりと浮かび上がっている。
それは少女以外が此処に侵入した痕跡がない、ということだ。

『御上の話だとそこで間違いない。データもある。異常な魔力反応が三つ、観測されている。一つはまったく未知のもの。もう一つは我々の回収目標。そして最後が——』

「『銀の魔女』……」

『その通り。俺も直接出会った事はないがあの魔力はデータでも一度見れば忘れんよ』

その言葉に少女も頷く。彼女もデータだけを見たことがあるが、それは強烈なものだった。
出鱈目すぎて嫌でも印象に残る。
それほど『魔女』と呼ばれる彼女は異質な存在だ。
彼女の魔力が此処で感知されたというなら、此処に彼女が来たというのは事実だろう。
だが、それを確証出来る物がこの場所にはない。

『そこではない『別の館』に入ったのかもしれないな。何にせよそこで得られる手がかりは無し、か……』

「どうしますか？」

少女は指示を仰ぐ。彼女と喋っている男が命令を下し、彼女はそれに従う足だ。
男は黙ったままだ。彼の次の言葉を待つまで、彼女はもう一度室内を見渡す。
やはり何もない。不自然なところは何もない。崩れた壁から黒い繊維が風に流され飛んでいくのを目で追う。

『仕方ないな。接触するか』

長い沈黙の後、男は決意を固めたかのような声で宣言する。

『事は進行している。感知された魔力の一つに回収物のものがあったということは、それが使われたということだ。たとえ魔女だろうと、アレの発動圏内にいれば何か影響があるだろう。ならばあちら側に助けを求めているかもしれないし、どちらにしろ何かの手がかりは得られるだろう。あの者達も魔女とは浅からぬ縁がある』

「了解しました」

ある意味、想像していた通りにはなった。魔女も回収物も簡単にはその尻尾を掴ませてはくれない。
一人でダメなら協力者は必要だ。
不必要な数の人間が今回の件に関わるのは望ましくはないが、内々に処理してしまうにはもう不可能な状態になったと言っても過言ではない。

『それでは目的地までのルートは端末に転送する。定期連絡、忘れるなよ』


「了解しました。アーネ・ルクツァイル、次のフェーズに移ります」


少女はそれだけ告げると端末を耳から放し、液晶を指で叩いた。