靴下のマオとの出会いを経て、イリスは沈んだ気分を持ち直し再び人混みの中に紛れていた。
今度は一人ではない、マオも一緒だ。

「4人ぐらいが良いってみんな言ってるね」
「そのようね。あたし達も4人を目安にする？」
「賛成っ！　賑やかな方が私は好きだよ！」

飛び交う言葉を拾いつつ、どうやら4人程度の小規模なグループが適しているらしいとイリスもマオも理解する。
戦力の問題もあるし、マオの云う賑やかさも精神的な癒しには必要なもの。いや、必要なのだ。
イリスはそれを痛感していた。

一緒に横を歩く仲間がいるだけでこうも足取りに違いが出るものなのかと驚いている最中なのだから。
一人の時のおぼつかないのろのろとした歩みは、今や快活とした軽いものになっている。

普段は従者がその役目を担っていてくれたのだとイリスは改めて噛み締めてもいた。
彼女もおそらく自分を探すために行動に移っているに違いない。
同じ世界にいるならばルリアンナとラルフの洗礼も受けただろう。
それは彼女にとっては児戯に等しい筈だ。難なくパスして同じように仲間を探してる最中かもしれない。
一人で探すという手段は取らないとイリス確信している。
彼女の思考もまた置かれた状況を冷静に判断し、自分と同じように情報収集の最優先を心がけているに違いないと主人のイリスは知っているのだ。

「探してる人、好きなだけ探していいんだよ？」
「そう——」

そう思考を進ませれば、この人混みの何処かに従者のアリスがいる可能性は有る。
何日もかけて探し続ければあるいは。そんな希望的観測が無いわけではない。
むしろ、そうしろと突き動かす誘惑の強いこと。
マオの言葉に思わ『そうする』と口にしかけた程だ。
だがイリスは何とか既の所で誘惑を振り払い、軽く頭を振って微笑んでみせた。

「……したいのは山々だけれど、問題はそれだけではないわ。この戦いを乗り切る程度の戦力を整えなければ、ここから帰る手段の手がかりを逃してしまうかもしれない」

だから従者だけに集中して他の大事な物を逃すことはしたくない。
従者を見つけ出し、二人であの蒸気の国に帰るまでが自分に課せられた試練だ。
そう言葉を続け、最後にイリスはマオを見やりつつこう締めくくる。

「だから仲間については、これはという人を見つければ積極的に誘うわ。マオも、よろしくね」
「イリスがそう言うなら、私はそれでいいよ。張り切って仲間を探しちゃう！」
「えぇ、よろしく——！？」

眼前を歩いていた人にぶつかった、ということはすぐ分かった。

「きゃっ……ご、ごめんなさい」

よそ見をしていた自分にも責はあるが、それにしたってこんな酷い人混みの中でいきなり立ち止まるなんて……とも思いつつイリスはぶつかった人物に頭を下げる。

「……？」

だが、ぶつかられた人物の方は何も言葉を返さなかった。
怪訝に思いつつも、イリスは改めて顔を上げその人物を見た。

「………………」

そこにいたのは少女だった。
マオよりいくらか幼い程度の容姿をしている。
だが、ただの容姿では片付けられない

同性の幼いイリスですらそう思わせるほどの息を呑む美しさを持っている。
肌の色艶、青い双眸、鼻の形。全てにおいて文句のつけようもない『美』の体現が目の前にあるのだとイリスは確信する。
だが、この美しさはまるで——。

そう、人形だ。
あまりに整いすぎてどこか人とは思えない。
身に纏っている服装もその印象を助長させる物だった。

「あの……？」

それに、この少女は。

イリスの言葉に何ら反応を返さないのだ。
ただじっと、空を眺めている。

「もしもーし？」

マオも呼びかけてみるが、結果は変わらず。

「うーん……？」

『放っておいて行こう』
そんな言葉が飛び出してこないのは、二人してこの不思議な少女へ興味を持ってしまったからだった。
いつしか人の流れはイリス達三人を避けるようにしてスムーズに進んでいる。
思考を巡らせても良い言葉が早々見つかることもなく、それでも沈黙に耐え切れなかったイリスは口を開いた。

「ねぇ……なにを、しているの？」

小さいがよく通る幼い声が蒼穹に溶けて消えていく。

「………………」

再びの沈黙の時間。
やはりだめかと思いかけたその時だ。

「上を見ています」
「あ、しゃべった……」

少女が初めて口を開いたのだ。
思わずマオが驚きの言葉を口にだしてしまうが、少女が気分を害したようには見えない。

「どうして、空を？」
「空。これは空と云うのですね。あの流れる物は」
「あれは、雲よ」
「雲と云うのですね。では空とは」
「あの白い、ふわふわして流れていくものが雲。青いのが、空よ」

話していくうちにますますイリスもマオも、この少女がただならぬ存在だと感じ始める。
どこか語り口は虚ろだし、空や雲を知らずに居るというのが何より異様だった。

「貴女も、一揆に参加しているの？」
「魔王パラダイス討伐作戦の名称、一揆。間違いありませんか」
「えぇ。……参加しているのね」

相変わらず空を仰いだまま答える異様な少女も、この戦いの同志であるらしいことは何とかイリスも把握する。
となると、ラルフを退けたのだ。実力者であることは疑いようがないだろう。
イリスは軽くマオに目配せする。

「……！」

きょとんとした顔をしばらくマオは返していたが、嬉しそうに何度も頷いてみせた。
これはという人——それは彼女たちにとって『強い人』ではなく、『興味を満たす人』だったのだ。

「良ければ、一緒にいかが？　仲間を探しているの。もしまだ貴女が一人なら、一緒に戦わない？」

少女はようやくゆっくりと顔を下ろし、空からイリスへと視線を移した。
美しい瞳だ。静かな輝きを携えた碧眼がイリスを見つめている。
だがその輝きは、生命を感じさせるものではない。
じわりと手の中に汗が浮かんだ。

「同行および、戦闘行為への援護の契約。それには条件があります」
「それは、何かしら」

条件、と云われイリスは内心どきりとする。
どんな条件を突きつけられるかこの少女からは想像もつかないためだ。とんでもない事を要求されるかもしれない。
好奇心に身を任せてしまったことに些か後悔しつつも、決断したのは自分だと腹を決めた。
そんなイリスの決意も露知らぬ少女は懐から何かを取り出し、それをイリスに差し出してみせる。

「これは……」

「フライデー１２。以上のデバイスの装着を要求します」
「でば、いす？」

見慣れない材質、聞きなれない言葉だ。
マオの方を見てみるが、彼女もご同様にちんぷんかんぷんだと表情が物語っている。

「権利執行のため、装着を要求します」
「権利とはなに？」
「多大な権利です。数えきれぬ程の膨大な。その執行のため貴女をモニターします」

何を言っているかわからない。
異世界に足を踏み入れた事によって起こる障害を、イリスは嫌というほど感じさせられた。

「……それはあたしに何か害を与える？」

だが、引き下がろうとは思わない。
おそらく最もはっきりさせておくべきであろう事項だけをイリスは少女に尋ねた。

「身体的障害の可能性は存在しません。精神的障害の可能性は３パーセント」
「精神的障害とは一体なに？　それが起こったらどうなるの？」
「不安感、憂鬱、不眠、頻脈、多汗の症状を呈します」

「わかった。条件を飲みましょう」
「要求の承諾を確認。デバイスの装着を実行します」
「ちょ、ちょっとイリス……！」

イリスの手を取り、なにやら始めた少女に流石のマオも不安を感じたようだ。

「大丈夫。心配いらないわ。ほら」

作業自体はあっという間に終わってしまったようだ。
見ればイリスの右手首に腕輪が装着されている。
肌にぴったりと張り付いているかのようなそれは、しばらくすれば違和感も消えるだろうとイリスに思わせた。
それをマオに軽く見せながらイリスは平気だと微笑んで、そして少女に向き直る。

「条件は飲んだわ。今度はそちらがこちらの要求を果たす番よ」
「お名前をお教えください」
「イリス・ゼペット」
「マオだよー」

少女はイリスとマオの顔をゆっくりと見ているようだった。

「契約は成立しました。以後、イリス・ゼペット、マオの両名へ同行。行われるすべての戦闘行為に援助を行います」

しばしその行為が続けられた後、少女はぴたりとイリスとマオの横につく。

「……貴女の名前も教えてもらっていいかしら？　それと、イリスでいいわ」
「なんて呼んだらいいの？」
「アエレア＝マテラスです。呼称については一任致します」

少女、アエレアはそれで全て済んだとでも云う風にまた口を閉ざしてしまった。

「わかったわ。……よろしくね、アエレア」
「よろしく、アエレア！　……後一人かな？」
「えぇ。こんなに早く三人が集まったのだもの。勢いを借りて四人目を見つけてしまいましょう」

そっとイリスはアエレアの手を引く。
そうしないとこの少女は、きっとどこかで立ち止まってしまうだろうから。
抵抗もなく、静かにアエレアもついてくる。

これだけ不思議な存在が仲間になってくれたことにイリスの子供らしい好奇心が刺激される。
今まで経験したことのない胸の高鳴りが、イリスの気持ちを高めてくれた。

背後でふかふかの尻尾をぱさり。少女のほうを見つめ返し。

イリスの手をとり、力強く握り締める。イリスと同じように、気分が高揚しているのだろうか。

エンブリオとかあまりよくわかっていなさそうな顔です。一緒に首をかしげて不思議そうな顔してます。