結局の所、城塞の周辺では探し人の情報を得ることは適わなかった。

近く辿り着いて見れば分かる、異様な空気。
熱気たり焦燥たり、此処に居る誰しもが、何らかの決意を持ちながら集っていることは自明であった。
其れは、あの男とは全く以って相容れないもの。

中には、話も聞かぬまま唐突に襲い来る者まで居る始末。
撃退した男は、傍らに居る女と共に何やら捲くし立てて居たが、どだい耳には残らなかった。
奴らは物資を置いて立ち去ったが、これも如何なる代物か分からぬまま。


*　*　*


歩みを止めて、大きく息を吐く。
事此処に至り、一つの疑惑が大きく膨れ上がり、首をもたげて来た。


——本当に花冠も、此の世界へ来ているのであろうか？



身体の芯が、重く沈み込むのを感じる。
思えば、目覚めてより飲まず喰わず、ひたすら歩き続けて居たのだ。
もっとも、元来に措いては、３日３晩暴れ続けても差したる支障を生じることは無かった。
それ故、己が身を磨り減らすような此の感覚が、疲労なのだと感付くには、容易には行かなかった。

それだけではない。
今しがた己が足を止めさせたモノ、自らの内より沸き出でて重しと成りしモノ。
それは正しく気力の萎えであった。

*

ふと己が幼竜なりし時代が、走馬灯の如く思い興された。
未だ爪も鈍く、牙も丸きあの頃なれば、このように気弱になることもあったであろうか？


——否。

幼さは弱さの依拠とならず。
生まれてよりこの方、臆せず退かず、己が臂力を以って引き裂き噛み砕いてきたのだ。

だからこそ、それ故に——



* * * * *



不意に強烈な風に吹かれ、意識が呼び戻される。
微かな、しかし確固たる懐かしき匂い。

思うよりも先に視線は風上へと向かい、両脚は駆け出していた。

*

花冠は確かに、其処に居た。

疾走から大きく上がった息を戻そうと、呼吸を深く重ねる。
己を良く見知った花冠からすれば、随分と滑稽な姿に映ったに違いない。

一目見る限り、花冠からは特段大きな変化は見受けられなかった。
記憶にある昨日までの姿をそのまま、ボロ笠の下から覗く色違いの双眸、灰色の髪。
表情は相も変わらずぼんやりとして、焦りも感動も見られない。

それ故に、花冠が衰えを口にしたことは、余計な驚愕を与えたように感じられた。

見上げた空を、一羽の鳥が素早く飛び去っていった。
最早手の届かぬ鳥の影に、自分たちが世界に取り残されたような錯覚を覚える。

腰の刀を指し示して見せる。

事実、こうして腰に吊るしているだけで動作を阻害されている。
使い慣れた花冠の得物に措いても、自由に振るえないことは想像に難くない。

例え一つでも、花冠の側で識ったことがあれば心強いのだが。

どうやら、互いの持ち得た知見に然程の違いは無いらしい。

花冠の視線が、静かにこちらへと向けられる。
その静かな瞳に、己の衰えを見透かされるようで、身体が小さく強張るように感じた。

所詮、ごまかしの効くような相手では無い。
なればこそ、長らくその隣に居座ってきたと言うのに。

愛想を尽かされるのならば、それまでのことだ

意外な程に、其処には何の追求も無かった。
いや、これが元来よりの花冠の気質であることは、幾度も理解して来たはずであった。

それでも自らの鼓動が微かに緩やかになることが、肌の下で静かに感じ取られた。

立て続けて質問を重ねて来る。
花冠にしては珍しいことだ。
言われてみれば、花冠を探すことよりの他は思考の埒外であった。
己の余裕の無さに、今更ながら失笑が禁じ得ない。

対して、こいつは余りにも変わらぬ。
否、元より変わり得ることなど、微塵も無いのだ。
それが花冠と、そして我という竜そのものだと言うのに。

だが、と視線の先を移しながら言葉を続ける。

花冠の視線が送られた先を、追うようにし瞳を向ける。
こうして早くも、目的とする場所を定めることが出来たのは、少々驚きであった。

小さく、安堵の息を吐く。
それはようやくにして、身体の奥底より吐き出すことが出来た呼吸のように感じられた。

思わず顔を見返す。
一体全体、何の為に貴様を探していたと思っているのか。

僅かな数瞬であったが、その顔には微かな驚嘆の念が見て取ることが出来た。
何をそんなに驚くことがあろうか。
どの道、霧の山中を歩みに行くようなものだと言うのに。

それに我は未だ、欠片ほども諦めた積もりは無い。

*

トン、と軽く刀の鞘を叩く。

衰えた力なれど、足手纏いにだけは成らぬ。
ならば、せめて戦い方を識らなくては。

十全だ。
こいつの剣ならば、牙を磨き上げることが出来るだろう。



力だ。
まずは力を得なければ。

我が本来の姿を取り戻し、竜の臂力を得ん。
叶わぬのならば、この身で竜の力を越えねばならぬ。


かつてこの男が、我が翼を斬り落としたように。

フィンの後ろから、声を掛けてくる人間がいた。
振りむけばそこにいたのは、１８歳程度の少女。
彼女はまだあどけなさの残る微笑みを浮かべていた。

だが。あるいは何か違和感を覚えるかもしれない。
それはこの歳の少女とは結びつけ辛い感覚。
鼻の利くであろうフィンなら、察知できるであろうか——。

——深くこびりついた、血の匂い。

言われた特徴に該当する人物を記憶の中から探す。しばしの沈黙の後。

そう言いながらじりじりと後ずさり、女性から逃げるように背を向けた。