書斎へ呼び出されたからと出向いてみれば、開口一番これである。そんな言葉が父の口から飛び出すとは夢にも思っていなかったので、少年——ラドアール・グリースは目を丸くして父親の顔を見つめた。

　何度頼み込んでもこの赤茶けたグリース領から出ることを許さなかった、過保護で臆病な父である。暖炉の明かりで影になり表情は窺い知れないが、それでもラドアールの父——セオドア・グリース伯はこう言った。

　グリース家はエンブリオ、デウスエクスによって生かされている。かのエンブリオにより与えられる魔力と技術によって魔動機械を制作し、それを武器としてなんとか地方貴族の地位を保っているのだ。
　そのデウスエクスとの契約が途切れる——それはグリース家の崩壊を意味する。
王の暴挙により国民に分配されるネクターが減っているとは聞いていたが、そこまでとは。ラドアールは慌てたように父を見、それから暖炉を見て、最終的に自分の足元に視線を落とした。意識せず震える指先が、両耳に装着された魔動機械に触れる。デウスエクスがいなくなれば、これも動かなくなる。

　少年の答えにセオドアはくつくつと笑う。

　ラドアール、と、父は少年の名を呼ぶ。

　ごうと強い風が窓を揺らした。窓枠の隙間から漏れた微風が暖炉の炎をゆらめかせ、一瞬だけセオドアの表情を照らす。

　数刻後、次期領主候補のラドアールが屋敷を出るという報が知られ渡る。仕えていた者の中、慌てる者も居れば、落ち着いて行動を取る者も居るだろう。彼を仕える者の一人であるセバスチャンは、明日の準備をする主人のラドアールを静かに見つめていた。

　彼はもうすぐ旅立とうというヒナ鳥を見守る親の如く主人をただひたすらに見つめていた。
……セバスチャン。彼はラドアールが生まれた日からずっと変わらぬ姿のまま生きていた。己に与えられた使命を遂行するがままに生きていた。主人であるラドアールと共に健やかに生きていた。できればこれからずっとそうであって欲しい。そう願っていたセバスチャンだったが、それも今日で終わり。
　明日からは主人のいない屋敷で留守するだろうと少しだけ悲しげな気持ちで彼を見つめていた。できるだけ……できるだけ……今在る主人の有様を自分のディスクに焼き付けておこう、と。



　ところが突然にふいと視界の中に小さなノイズが入る。この時、この異変に気づいても今まで通りにすぐ直るだろう。

　……そう思っていた。しかしそうではなかった。
今回はいつもにしてはあまりにも長い。ところがますますノイズが増えるばかり。今までは２、３秒経てば自動的に直る。彼の体にはそういう仕組みで出来ていた。
　しかし直らないという事実に気づいたセバスチャンは緊急用のベルを鳴らそうとしていたが、それすらも起こせない。
そう……時すでに遅しだった。ああ、長年使い続けてきた体にとうとうガタが来てしまったか……と彼は不良品になる覚悟を持った。

そのまま数十秒後異常な電子音と共にノイズはますます酷くなり、画面は完全にノイズが乱れる。ザザーとという音と共に、彼は……ただ、ただ、それを見つめ、聞くことしか出来なかった。
　なぜなら彼の体は既にそこにはない。今在るのは彼の"意識"だけだったから。

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　　　ザザ……　　　　　　　,:::::::::::::::::;　　　,:::::::::::::::::;
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　　　　　　　　　　':;;....:::;　 '::''　　ザザー　:::::::::::　　　:,:::::
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　身動きがとれない状況の中、黒い点が少しずつ中心に集まり、一つのシルエットを象った。そして"ソレ"は姿を現した。"ソレ"は曖昧な姿をとっており、輪郭がややぼやけているように見える。ノイズのせいだろうか、ただ、それはあまりにも不気味だと感じられた。
次に"ソレ"から次の言葉が発せられる。




「……ザ……■視■■……ザ……ザザー……■レ■わ■■……ザーー…………」


　　　「………………■■■■家……………ザ………ザッ…………との■約…………」


「…………ザザー…………■代………ザ……………ザ……ザ……………ザ……」


　　　「ザァー……執■■■……………ザ……ザ……………■■■■■ン……………」




　雑音と共に超高性能な機械でも聞き取れない言葉が繰り返された。また不気味な姿から目を逸らしたい、声を聞き取りたくない。彼はそう思った。だがそのような権利を持ち合わせていない。何故なら彼は"意識"だけでそこに在るのだから。

　……しかし何時経ったのだろう、長らく聞き続いた気がする。まるで"催眠"を仕掛けられているかのように。




…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　…　　

「……ザ……■視■■……ザ……ザザー……■レ■わ■■……ザーー…………」


　　　「………………■■■■家……………ザ………ザッ…………との■約…………」


「…………ザザー…………■代………ザ……………ザ……ザ……………ザ……」


　　　「ザァー……執■■■……………ザ……ザ……………■■■■■ン……………」


「…………………ザ………………………………………………………ザ…………」


　　　「…ザザー………………………………………………………………………………」


「…………………………………………………………………………………………」


　　　「…………………………………………………………………………………………」




　１日ぐらい経ったのだろうか。長らく続いた声は途端に止み、スノウノイズが少しずつと解け、視界が明瞭に……クリアになっていく。目前にあったのは意識が途切れる前の……日常だった。


相変わらずと、支度をする主人ラドアールの姿がそこにあった。

　いつの間にやら一緒に行くことになってしまった。けれど主人様と一緒に、長く居られる。
そのことが嬉しく……、彼の体は少しだけオーバーヒートしているようだ。
そしてひっそりと現在の時間を確認するとノイズが現れてからまだ１分しか経っていないことに気づいてしまう。
　しかし体感では１日ぐらい続いたかと思うほどだった。
あの不思議な現象、今までにはなかったが、ノイズの中に現れた不気味な影……。

　しかしながらその影、"ソレ"の正体、セバスチャンは知っている。

真に事実を知る者ならばこう言うだろう。




それは……、　　



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　それは……、





　　
　　　　　　　　　　　　　"呪われたグリース家の闇"

　

　　　　　　　　　　　　　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　と。