「ああ、眼を閉じても思い出せるわ。
　本当に駿河君……いえ校長先生にしろ貴女にしろ……
　本当にいい反応だったわ。
　これを笑わずして何を笑うというのかしら……
　本当はもう二度と貴方達に会うつもりは無かったのだけど——
　これだけでもこの学校に来たかいはあったわね。」
「はぁ……
　全くもう本当に先輩は……
　校長先生が最近私に優しいのも先輩のせいなんですよ？
　なんか同情の視線が混じってましたし……！
　まぁ、校長先生は校長先生で先輩と話すの楽しそうにしてますけど……
　手間は掛からないし、表面的には優等生ですし……
　けど気が気じゃないんですよ、これでも……」
「まぁまぁ。
　良いじゃない。
　それもまた教師の仕事というもの。
　それくらいで潰れていては教師なんて務まらないわ？」
「まぁ、そうなんですけどねー……
　なんだろう、手間のかかる子の方がマシって感覚が……
　気にしたら負けでしょうか……
　あー……
　うー……
　あ、とりあえず他の先生や生徒がいない時くらいは昔のように呼んで下さい。
　今まで我慢してましたけどやっぱり無理です。
　——私にとって先輩はやっぱり先輩で、
　私は先輩の後輩でありたいんですから。」
「そう？
　まぁ、良いわ。
　——先生は生徒に教えるものであると同時に——」
「——生徒から教わる立場である。
　でしたよね。
　先輩に進路相談した時に聞かせてくれた言葉です。
　——先輩は？って聞いた時に、
　『私は今のまま楽しめればそれでいいわ』っていってましたけど、
　本当に言葉通りだとは思いませんでしたけどね！
　全く——」
「その時の答えが、
　『先輩も前に進んだ方がいいです、
　　もっとよく考えて下さい。』
　だったかしら？
　ええ。
　まぁ、ずっと今のままではいられないと思ったからこその言葉でしょうけど、
　そうね。
　つい最近になってようやく少しは理解出来たわ。
　ふふ。だから教師は響子さんの天職よ。」
「ええ、本当にこういう事だと知っていたらもっと別の言葉を……
　投げてませんね。きっと。
　天職というわりに、先輩に何一つ教師として教えれてませんけど……」
力なく肩を落として笑う。
そんな彼女に魅月はそっとビールを差し出して——
「あら、十二分に教わってるわよ。
　それは眼には見えないし、
　貴女が知らず知らずに教えている事。
　だから安心なさいな。
　——ほら、飲みなさい。」
「ありがとうございます……
　……それにしても取り込んだって……
　……先輩は慣れてるっていってましたけど、
　本当に大丈夫なんですか？
　あからさまに危険……だと思うんですけど。」
それを受けとり一口飲んで、彼女は魅月の目をじっと見た。
真剣な様子の彼女に対して、彼女は何事も無かったかのように言う。
「これくらい危険だなんていったら、
　今頃精神が死んでる気がするわ。
　肉体に関してはどうせ変化しないのだし。
　——単純にあれくらい可愛いといえるような事には沢山遭遇しているわ。」
「……え、精神だけなんですか？
　先輩？」
「今でこそだけど、
　当時は夜を迎える度に私は何度か死を迎えているのよ。
　最も、死んでは巻き戻し死んでは巻き戻しだから、
　そもそも命の危険というものは多分存在していないわ。
　まぁ、だといって痛いものは痛いし、
　私の精神は人のそれと同じだもの。
　いつかは完全に疲弊して崩壊しないとも限らないわよ。」
「いやいやいやいや、
　先輩がまぁ人間離れしてるっていうか、
　もう人外なのはおいといてですよ？
　——辛くないんですか？
　私で良かったら——」
微笑みながらなんでもない事のようにいう魅月の言葉に、
真剣に真っ直ぐな眼で心配そうに見詰める彼女。
そんな彼女に対して魅月は悪戯っぽく笑うと、
「あら、じゃあ、貴女の胸を借りて泣いてみようかしら。」
「ふぇっ！？」
「冗談よ。
　——響子さんは本当にいい反応するわよね。
　昔からそこが変わってなくて本当に良かったわ。
　まぁ、昔はそれなりに辛かったけれど——
　とある人達と出会ってね、
　悩みが解決したというか——
　結局は私の心が弱かっただけなのよね。
　辛いと思えば辛いし、
　楽しいと思えば楽しい。
　それだけの話なのに何を悩んでいたのかしら。」
「いや、その理屈はおかしい。
　——何度も死ぬなんて苦痛を受けて来たんですよね？
　私が同じ目にあったらどうなるか分かりませんけど、
　正気なんて保ってられませんよ……？」
「さぁ？
　響子さんにそういわれるのは嬉しいけれど、
　やっぱり私も心が弱かったのよ。
　ただ無駄に頑丈だっただけで。
　もう少し人を信じたりしていれば、
　もっと早くに到達出来た答えでもあるものだから。
　——だから、そう——
　私はね。
　結局の所ずっと逃げていただけなのよ。
　向き合っていなかった。
　だから——苦しい目に合うのは当然だった。
　まぁ、いわゆる自業自得だから昔の私に対して貴女が何かを抱える必要はないわ。
　今の私にとっては、全てが楽しい事だから——
　軽い気持ちでいいの。
　重い気持ちも重い空気も似合わないわ。
　それに——」
彼女の顔に自分の顔を近づけ魅月は彼女に——
「私はもう救われているのよ。」
そう囁いた。
「——今更の事だし、
　今はもう大丈夫だから、心配する必要はない、と。
　うーん……
　ま、それでも——
　何かあったらいってくださいね。
　だって私は教師で先輩の先生ですし。
　先輩とは友人なんですから。
　今は大丈夫でも、これからは分かりませんからね。
　それに——
　人生何があるか本当に分かりませんから。
　全部先輩のせいですよ？」
「ふふ。そうね。
　その時が来れば頼らせて貰うわ。
　それにしても嫌ね。
　私のせいだなんて。
　私は何もしてないわ。
　——響子さんのいない間に響子さんの日記読んだ以外は。」
「ちょっ！？
　何読んでるんですか！？」
「まさかあんな所まで関係が進んでいたなんて——
　なんで結婚しないの？
　馬鹿なの？
　——もういいから早く結婚式開きなさいな。
　式場とか抑えてあげるから。
　ああ。結婚指輪？
　それくらいは相手に用意させなさい。
　どうせもう買ってあるでしょ。
　——私の読みが正しければ。」
「あばばばばばばば！？
　本当に読まれてたァァァァァァァァ！
　先輩のいつもの冗談だと思ったら本当だった！？
　これは酷いプライバシー侵害ですよ！
　教師の弱みを、
　いえ後輩の弱みを握らないで下さいません事でございますか！？
　そ、それに、
　結婚、結婚式は嬉しいですよ、
　え、本当に用意されてるんですか？
　そうだったら嬉しいな、じゃなくって、
　なんでもう、結婚式やる事前提なんですか！？
　おかしいですよ、先輩！」
慌てる彼女を魅月はにっこりと微笑んで——
魅月の口撃が始まった。
「だって、それくらいのお膳立てしなきゃ、
　貴方達結婚式まで進展しないだろうもの。
　見ていてもどかしいのよ。
　だから私は貴方達の幸せの為に心を鬼にしてやるのよ。
　いいえ、やらねばならないわ。
　これが先輩の義務であり祝福だと思うのだけど、
　——ああ、そうね。
　生徒として先生にはぜひ幸せになってもらいたいとも言いましょうか？
　ああ、仲人とかは流石にできないけど、
　司会役くらいはするわよ？
　ちょっと変装はするけれど。
　だってそれで不気味に思う人絶対にいるもの。
　そういう面では本当に響子さんと駿河君は優秀よね。
　まぁ、だからこそ姿を現した上でこうしているのだけど。
　——親しい人でも中々受け入れてくれないのよねぇ。。。」
「そうですね。
　なんていうか私はいいですけど、
　先輩あんまり知らない人とって先輩は——
　じゃなくて！
　気持ちは嬉しいけど！
　その、まだ私達には早いっていうか……！」
「いや、寧ろ遅いわよ。
　どんなけ遅いのよ貴方達。」
「は、はぐっ！
　そ、そういう先輩だっていい人が——」
「そうね。
　——けど、どういう関係とかかは教えないわよ？
　どれくらい進展しているかもね。」
「なっ……！
　卑怯ですよ、先輩！
　ていうか、自分の事さておいて他人の事を——ッ」
「いうわよ。
　私と違って貴女の時間は有限なのだもの。
　私は後悔しても取り戻せるかもしれない。
　けれど——
　貴女は後悔してからでは手遅れという事も無いとはいわせないわよ？
　ま、諦めなさい。
　私が関わった以上——
　私が卒業するまでに結婚させるわ。」
「酷い！？
　あ、あ、そうだ！
　私は先輩が卒業するまで教師をやりたいので結婚はまだです！」
「そのうち産休とか取ると予想するし、
　彼なら教師続けてもいいっていってくれるでしょうに。
　最近は主夫っていうのも珍しくは——」
「……絶望した！
　先輩に口勝負で絶対に勝てないと確信してしまった事に絶望した！
　はぁ、もう良いですよ。
　——そのかわり先輩。
　精一杯祝ってくれなきゃ嫌ですよ？」
「勿論。」
諦めたように首を振り笑いかける彼女に、
魅月は最高の笑顔で応対し——
おもむろに立ち上がった。
「さてと——そろそろ行きましょうか。」
「はい？見回りは終わりましたよ？
　特に買うものもないですし、
　今から先輩に宿題やりながら勉強をですね。」
「宿題なんてもうとっくに終わってるし、
　予習・復習も必要ないわ。
　必要な事は授業中と休み時間で済ませたもの。
　足りない分は放課後に残って終わらせてあるわ。
　ああ、心配しないでも学校からは出ないわよ？」
「え、じゃあ一体どこにどうして行くんです？
　私もついていった方が……？」
「ああ、いえ、出来れば電気をつけたままここで待機してもらった方がいいわね。
　ついて来たいなら止めはしないけど——」
立ち上がろうとする彼女を魅月は手で制しはっきりと告げる。

「この学校の七不思議を相手どるのを見たら怖いじゃすまないかもしれないわよ？」

今から行くのは魅月の領域。
彼女が踏み込むべきではない世界なのだと。
そして告げる魅月の顔をみて諦めたように首を振り——
「いえ、やめておきます。
　先輩の事は心配ですけど——
　ここより先は私が踏み込んでいい世界ではないみたいですし。
　そうですね。
　夜食の用意はしておきますから——
　ちゃんと帰って来て、後で報告くらいはしてくださいね？
　はぁ……教師としては無理いってでもついていくべきなんでしょうけど、
　そんな目をしているって事は私がいない方が危険がないのでしょう？」
「ええ、賢明な判断よ。
　教師の仕事は生徒の面倒を見る事もあるけれど、
　親と同じで時には見守る事も大切。
　今は見守る事が大切な事。
　ふふ、やっぱり、貴女が教師になって良かったわ。
　これほどいい先生になんて滅多に出会えないもの。
　もっとも——
　それが相手に理解されるかされないか、
　そういう事は気にしない方が良いわ。
　——将来になって、
　貴女がどうしてそんな事をしたのか。
　人の気持ちが少しでも分かるようになれば——
　きっと貴女を生徒は感謝をする。
　私が感謝してもし足りないくらいにはね。」
「もう、ほめ過ぎですよ？
　私が増長したらどうするんですか？」
「心配してないわ。
　まぁ、もしこれで調子に乗った返しをするようなら——」
「するようなら？」
「貴女の日記の内容を放送室から全力で放送するわ！
　大丈夫、反省文くらいいくらでもかくもの。
　内容は要約すればこうなるけれど。
　『ついかっとなってやった。反省は全くしていない。』
　と。」
「反省文なのに反省してない！？
　しかも理由が酷い！？
　っていうかそんな事やられたらたまりません！
　に、日記を金庫に——」
「覚えたわ。
　内容全部とはいえないけど、
　私が面白いなと思った部分は全部。」
「手遅れだった！？
　先輩の面白いなって思う部分って……
　基本的に私にとっての最悪じゃないですか！？
　酷い、私お嫁にいけない！」
「貰ってくれる人いるから大丈夫よ。
　さて、それじゃ、行ってくるわ。
　帰ったらゲームでもやりましょ。
　今夜は寝かせないわよ？」
「あー、もう。
　いってらっしゃい。
　でも、今夜は寝かせないわよって……
　下手すると違う意味にとられますよね？」
「あら、そっちの方が——」
「お断りします。」
「そう。残念。
　また後で。響子さん。」
「はい。また後で先輩。」
ひらり、と手を軽く振って魅月は学校に広がる闇の中へと消えていく。
それを彼女は見送り、ため息をつき——
「——先輩を信じて待ちましょうか。」
そういう彼女の顔には安心したような微笑が浮かんでいた。