[ 自動書記文箭の記録より ]

前にセルフォリーフを訪れた時と状況は似ていた。
目隠しをされて、何やらよく分からない移動方法を取られた——と思う。このような書き方をするのは、個人的には好きではない。不本意である。
己は記録し、それを語るための道具なのだ。道具の役割を果たせないのであれば、率直に、意味が無い。

事前に啓から聞いた話によると、メルンテーゼという場所は現在少々ややこしい事になっているらしい。
メルンテーゼには、以前よりネクター——これは生命力を司るものだそうだ——と呼ばれる紅い花がある。その花を捧げる事により、エンブリオというものと契約を交わす。
当の地は以前より王制がしかれていたそうなのだが、この“王”、新しい王が問題を起こしたそうなのだ。
問題も大問題！　新王がネクターを独占し、住民がひどく困っているのである！　——これが、己が啓が聞いたメルンテーゼの実情である。
なるほど、最初「一揆を起こすらしい」と聞いた時は目が点になったが、つまりは民衆が起こす一揆の手伝いをしろというわけか。
セルフォリーフでもメルンテーゼでも、異世界の住人（その世界の住民が奮闘している場合もある）の応援要請に応じている。
平然と書いているように見えるが、ひどい一文だ。現実世界に半ば溶け込んでいる身としては、簡単に“異世界”などという単語が出てくるのが滑稽に思える。
それはさておき——己は上手くやっていけるだろうか。不意に不安が鎌首をもたげてくる。セルフォリーフでは、眠たがりの二人の子守をしていただけのような気がする。
今回のメンバーは、せめて眠たがるような人々でなければ良いが。否、あれらが特殊だったのだ。

メルンテーゼに着いてから案内人に——これはすぐに姿を消した。後姿はスーツを着た男性のようである——目隠しを外されると、目の前には城が聳えたっていた。
馴染み深い日本の城とは様式のまったく異なる、おそらくは西洋風の城。写真でしか見た事が無かったが、実際に見てみると、圧倒された。周りは緑に囲まれている。この辺りは、己が住んでいた場所と似ているか。そうは思いながらも、きっと生えている植物は違うものである。
しかし、今回は早く着いたのだろうか？　周りには人が居らず、緑のにおいが濃いばかりである。己はしばし、その場に立ちつくしていた。はて、どうするべきか——。
緑から城へ目を転じる時、少女と屈強な男が向こうからやって来るのが見えた。彼等は一揆に参加する者達だろうか？　どうも己を目がけて歩いているようなので、こちらも歩み寄ってみた。すると、少女の方がにこりと笑った。
麦わら帽子に、己と同じような三つ編みの少女。赤毛に碧眼と、まるで童話から抜け出たような少女だ。但し、その横には、筋骨隆々の男が連れ添って歩いている。男は白いシャツから焼けた肌を晒していて——これも偶然だが、己と同じように右目の無い男だった。
少女が人差し指を立て、微笑む。そして「初めまして」と挨拶をした。それだけで、何とは無く、彼等は己のような立場とは違う者達なのだと気がついた。
少女はルリアンナといい、自ら“この一揆を影でサポートする参謀”であると称した。緩々と初対面の人間に暴露して良いものだったか、参謀というものは。
彼女は己の事をじっと見つめていた。己の風貌が珍しいのだろうかと思っていると、彼女は突然言い出したのである。

「あら、エンブリオとはもう結んでいるのね」

己は目を見張った。何の事だ？
彼女の視線は、己の右手にあるトランクケースに注がれていた。
エンブリオというものには、永い年月を過ごしている己も、名を聞きこそすれ縁の無かったものなのに。どうして、その視線は、このトランクに注がれている？
まさか知らぬ間に、己はエンブリオなるものを手に入れていたのだろうか？まったく記憶が無いのだが——。大分使い古し、傷や剥げのあるそれを見た。ルリアンナは微笑んでいるだけである。

「だったらまぁ、大丈夫だと思うけど……念のため」

ルリアンナは、後方で待機していた男——ラルフを呼んだ。すると、ラルフは突然「腕試しだ」と言い、二の腕に力瘤を作って見せた。
一揆に参加すると、無駄な怪我人が出る可能性がある。そして、その怪我人を減らすために、腕試しがあると。
己は奇怪な能力を有しているとはいえ、戦闘に向いた体をしているわけではない。啓からメルンテーゼの話を聞いた時と同じ不安が過ぎった。ここで腕試しに負けてしまうと、啓に申し訳が立たない。
ラルフは大きな拳を握り、構える。己はまだ何も言ってないのだが、否やは無い。ところで、ここで怪我人が出るなどとは考えていなかろうか、この人々は。

開戦早々、大きな体が、拳が、己の体に打ち付けられた。ルリアンナはじっとこちらを伺っているだけである——。
己の能力である、黒を右手より喚起する。黒はインクや墨汁——、それ以外でも良い、黒い液体ならば何でも良い。流石に粘度の高いものは無理であるが、超濃度の墨汁までなら大丈夫である。
ラルフを狙う黒は蛇のように、速く、彼を取り巻く。黒の液体を文字にする暇は無い。ぶつける方が、早い！
また、すかさずコートの中から紙を幾枚引き抜いた。コートは己の表紙でもあるが、内側から紙を任意で引き出す事ができるのである。
引き抜いた紙を、奔る黒の帯に滑らせると、紙は当然黒く染まる。その、力に染めた紙をラルフに放った。紙は己の自在に動き、ラルフの脇をかすめる。

「どこを狙ってやがる？」

軽快なステップを踏み、ラルフは後退する。

「元より、あなたに当てるつもりはありません」

ルリアンナは気付いているはずなのに、黙ったままだった。腕試しというが——ラルフが己を見るのではない、ルリアンナが己を観ている。
元よりラルフ本人に当てるのではない。そう、黒い紙は布石と形容すべきか。後退したその先——。ラルフの頭上に、真昼の黒星の如く黒い紙が浮いていた。そこから繰り出されるのは、文字の羅列！
頭上に注意を払おうとした彼に、己は追撃を与えた！　これで、彼が逃げられる可能性はほとんど無くなったはずだ！　読み通り、ラルフは、降り注ぎ体力を奪う文字の羅列、己が放った黒、どちらにも対応しようとしようとしてどちらも避けられなかった。それどころか、中途半端な判断をしたせいで、大きく体勢を崩したのである。
腕試しであるから、あまり手の込んだ事はしていない。これで十分だろう。息を吐くと、彼は構えを解いて満足そうに笑った。拍手が己に注がれる——。どうやら、腕試しは終わったらしい。
そもそも、己程度のモノが、人一人の生命を脅かすなどできやしないのだ。これは自己防衛のための力なのだから。

ほっと息を吐いて、己はラルフを見た。
——まずい。
己の黒は、自ら敵と見なした相手に放てば付着する。腕試しの結果、白かった彼のシャツは黒色に染まっていた。
ラルフもルリアンナも笑って気にしないようだったが、申し訳無さでいっぱいである。染みを抜いてから御返しすると約束した。
すると、ルリアンナがどこからか白いシャツを取り出して、ラルフに手渡していた。

「今日は沢山の予定が入っててね」

腕試しの相手の得物は、時に刃であったりするだろう。シャツはいくらあっても足りないわけだ。
それはそれで不憫だと思っていると、彼女は己に“ネクター”をいくつか渡した。噂に聞いていたそれは、花弁が美しい紅色をしている。この世界では、この花が肝心になってくるそうだ。大事に持っておくべきだろう。
ネクターを眺めていると、ルリアンナとラルフは一揆の内容について簡単に話してくれた。ルリアンナは新王の事を魔王と称し、厳しい顔をしている。

「あ、魔王城には厄介な奴らがいっぱいいるからね！　なるべく誰かと一緒に進むようにしたほうがいいわよ！！　あとこれ支給品！　がんばってね！！」

慌しく彼女は支給品を己に手渡した。ラルフには今後御会いした際にシャツを返す事にし、二人とは別れた——。何とも台風のような二人だった。主にルリアンナの方が。
支給品に目を通す。材木と鉱物、それに——ああ、己は早く着き過ぎたのだ。ルリアンナから渡されたナンバーには“16”と記されていた。セルフォリーフでは231だったが、16は早過ぎる。まさか一揆の手伝いをする人が少ないというわけでもあるまい。異世界からの応援要請に駆けつける者は、前回の経験から言えば、絶対に多い。
だが、こんなに早いと「誰かと組め」とアドバイスされたところで、どうしようもない。己はしばし、周辺を歩き回ってみる事にした。どうせ、今日中にはある程度の人数が集まるに違いないのだ。
城の方角を眺めていると、近くに高台がある事が分かった。そこに登れば、大まかな地形は分かるであろう。民衆からの応援要請というからにはどこかしら街があるのではないか。
しかし、実際に登って見てみても、分かった事は少なかった。鬱蒼と茂る森や草花の群生する平原、煌く水辺——それと、遠くに険しそうな山がある。入手できた情報は、その程度だ。
以前とは違い、地図というのも貰ってはいない。情報交換ができそうな建造物というのも無さそうだ。唯一つ、ルリアンナとラルフが居た辺りに、古びた小屋が一軒建っている程度か。
己はその場に座り、城を振り返った。白い城壁が青の空に浮かんでいる。まるで入道雲のようだ。実際、入道雲のようなものかもしれない。——後に、雷雲を呼ぶ事になるであろう城なのだから。
人が集まるには、まだ時間がありそうだった。
今回は自ら募集するのではなく、誰かの募集に応じる形にしてみようと思い、己は手荷物を改めてみる事にした。

そう、先程ルリアンナが視線を注いでいた——トランクケースの中を。
一体彼女は何に反応をし、何をエンブリオと定めたのか？





心当たりはあった。
随分と前、己の庵の前に突如現れた一冊の本。否、本というよりは日記——だった物だろう。
その日記には『白神さんの日記』と書かれた題箋が貼ってあった。だが、ずっと前の物なのか、それとも管理状態が良くなかったのか。題箋はボロボロになって剥がれかけていた。
人の落し物に手を加えるのは失礼ではあるのだが、同じ本として、どうしても手を加えずにはいられなかった。できるだけ筆跡を真似て、題箋だけを貼り替えたのである。
セルフォリーフで集めた情報から、この日記の持ち主であった“白神”なる者は、既に亡き者であると考えるのが妥当であった。なぜなら、それは神であったというのだから。
きっと日記は書かれていて、けれども何らかの理由から、白神という者は消滅したのではなかろうか。日記が白紙であるのは、存在が消えてしまったからであろう。似たような事例を、己は知っている。
しかし題箋の文字は消えていない。それは、同行者であったというトヨという者が書いた——だからこそ、「白神さん」とついているのだ——からであろう。そしてその人物は、消えていない。
日記はトヨなる者の元へ帰りたがっている。だから己は、トランクケースの中にこれを入れて持ち歩いて消息を訪ね歩いていたのだ。
それがエンブリオとして認められるならば——もしや、己が手を加えた事により、変質が起こったのでは？　セルフォリーフに居た頃は題箋はまだそのままにしていたのだ。

えらい事をしてしまった気分だった。

トランクケースの中身には本がいくつも入っているが、他は何も怪しいところが無い。これだけだった。元の題箋は保存しているが、庵に置いたままである。
己は溜息を一つ吐くと、立ち上がった。大分人が集まった気配が、高台の下方にある。実際、この高台に何人か人がみえた。
まずは、そう遠くない所の古びた小屋に行く事にした。内部にでも募集のチラシが貼ってなかろうか——そう思ったが、足は小屋の裏手へと進んでいた。
小屋の裏手。そこには——偶然だろうか、一枚のチラシがあった。羊皮紙には次のように書かれていた。


「協力者求む。

　エルザ・フォン・アーレンベルク」


驚く事に、羊皮紙はナイフで留められていた。物騒な事だ。
それでも己はそれに興味を示していた。この御時世、羊皮紙で募集とは——一体、どのような人物が作ったチラシだろうか？
己が、しげしげと文字を眺めている時である。



背後から、声がかかったのは。

そう言うと、ハンチングを取って3秒の息を取って一礼した。

　　　　　　　ノーラが前に出した本がしゃべる

平原を行き交う人々の中で、一人の少女が足を止めて近づいてきた。

　　　　　　足元で白い子犬がじゃれている。