やってみるがいい。人の世は好機に充ち満ちている。

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断壁の世界“ヴォルフスムーン”

人と人狼が住まう分割世界が一つ。
どの世界にも存在するであろう、世界の存在理由は表立って公表されていない。
聖人サンセットジーンの庇護下にある魔術師だけに語り継がれ、
他の守護者に守られる者、他の世界から訪れた者は、決してうかがい知ることは出来ない。

ヴォルフスムーンの人狼達は戦場に生きる。

人の姿を取りながら狼に化ける存在を人は人間と認めない。
人でない者を物として扱うことは犯罪ではない。
彼らのたぐいまれな戦闘能力と、若い時間が長いという特性を利用して、
外部世界に“傭兵”として売りつけ、外貨を稼ごうと考えたのは一体誰であったか。
そうして、他世界の技術を学び、盗ませ、ヴォルフスムーンを発展させようと考えたのは。

彼らの子孫は隠者マルクスバレッジの加護の元、断壁の世界の女王として君臨している。
その支配が揺るぐことはないだろう。

人狼達は死地に生きる。

世界を捨てることは出来なくても、言い出した誰かを殺すことは出来ただろうに。
兵士となれと命ぜられた人狼達は、何故か王の意志に従った。

金のため、名誉のため、戦友のため、己のため。
熱血ガリバーヴォルクの名の下に、彼らを買った誰かのために戦い続けた。
流さなくても良い血を流し、失わなくて良い生命を掻き消した。

女王は見抜いていたのかもしれない。
彼らの能力は、心は——…平穏な世界でなく、戦場でしか生きられないことを。

そして、時に二度と戻ってこない。
私の下にあったパック“ロル”もその一つだった。







メルンテーゼのエンブリオ。
彼らの存在については、戦場から戻った夫より聞いた。

元素の世界“メルンテーゼ”に咲く花に縛られた存在。
様々な姿や特性を持ち、生命を与えることで力を貸してくれる。
その力は魔法や兵器に通じるほど強力らしい。
尤も、兵器利用はされていないが。

当時は何の関心もなく聞き流していた。
だが、己の属するパックを失い、腕一つで生きていかねばならぬ魔術師にとっては朗報だ。

ヴォルフスムーンの概念で生命は“記録”を指す。
人の願い、意志、信じるもの——全てをまとめて生命と定義する。
人は他者を喰らい、彼らの血と肉によって形作られる。
生命を喰らい書き込まれたエンブリオも、喰らった記録によって血肉を得るかもしれない。
すくなくとも、影響くらいは受けるだろう。

もしも、エンブリオの根源を人狼達の魂で覆い尽くす事が出来れば。
人狼達の姿形を描き出し、人狼達がエンブリオの能力を利用できると判れば。
亡き人狼達を、もう一度戦地にかり出せるかもしれない。
そして、彼らに出来なかったことを、もう一度やらせてあげられるかもしれない。

Take a chance! All life is a chance.
私は好機に恵まれた。







ラファエル・タッカー。

ロルのミューとして、戦地での医療活動に生きた男。
狼の姿を取っても、どこかひょうきんな顔をした姿で、恐れよりも先に愛着を抱かせる。
衛生兵としては有利な特性に恵まれた戦士だった。

彼の生家は織物商。
ヴォルフスムーンだけではなく、外部世界とも取引をするような老舗であった。

商売は人間達の仕事。
タッカー家の家系図にも、純粋な人間しか居ないと思われていた。
人狼と人を親に持った女性は、人狼の特性を一切引かない——遺伝子の悪戯故に。
どこかに紛れ込んだ人狼の血は、よりにもよって彼の血に引き継がれた。
唯一の男子である彼は、狼の血を引かなければ、タッカー家の財産を全て相続できたろうに。
彼は家系図から抹消され、戦地に生きる羽目になった。

とはいえ、外地を飛び回る仕事は、彼にとって害ではなかったかもしれない。

戦禍によって傷ついた世界と、生家との取引ルートを確保するため、
戦後処理のかたわら駆け回っていたと聞いている。
根本は人の良い男だが、取引に臨む態度はタッカー家の血の片鱗を見せたとも伝え聞いている。

商家に産まれただけに、独立心は思いの外高く。
人間の側に産まれた人狼だけに、魔術を扱う人狼である私に同情もしていた。
故に、私が多少の無茶を言おうとも、文句混じりに聞いてくれた。
私の指示で動き、単独でも戦える、完璧な人材だろう。

人と狼、そして外部世界との全てを取り持とうとした男。
彼の不幸のはじまりは、全てが平等で、全てが助け合う世界を求めたからに他ならない。

彼は他者に生命を与える。
与えるための生命は、別の他者から生命を奪う事でしか得られない。
全てが平等などあり得ないという皮肉に相違ない。

ネクターを受け取り、どうにか無事に合流したカーライルとエミリー。その二人の立つ草原の小高い丘に向かって遠くから幌馬車がコトコト近づいてくるのが見える。

——やがて目の前まで来た馬車から、品の良さそうなひとりの老婦人が降りて来たことに首を捻りつつ、御者の青年に声をかける。

そう言ってエミリーはホログラフしきのタブレット端末でししょーへと文字を差し出す。
そこには雇おうと思えば非合法なアレな組織から１個中隊雇えそうな金額が０をズラッと揃えて掲示されていた。

老貴婦人は荷馬車より優雅に飛び降りた。
長く馬車に揺られる際の唯一にして最大の代償は、酷く体中が痛むことだろう。
なまった身体を伸ばした後、馬車の回りを歩くことで、身体に蓄積された疲労を取り去ろうとしているらしい。

歩き回りながら周囲を確認すると、
なにやら、運び屋と考古学者風の男が熱心に話し合っている。

考古学者の方は——…間違いない。
彼の怪しげな面立ちは、ここに来る以前に確認した鉛筆画と寸分違わず一致する。
“メルンテーゼに於ける護衛及び探索補助”の依頼人だろう。

談笑から離れた場所。
考古学者と、その隣に立つ猫耳の女性に向けてお辞儀をすると、再び体操へと戻っていった。

闊達に淀みなく、差し出された手を傭兵にがっちりと掴みかえして握手すれば…

此処で漸く首を捻り、動作が一瞬が固まる。

それでも笑顔を取り戻すと鷹揚に自らを紹介する。

一呼吸の間を置いてから、老婦人へと大きく振り返る！

猫の獣人と思しき少女の言葉と手にしたものに更に驚くとずいっと顔を寄せた！

高い視線から見つめ返したその瞳は屈託なく笑い返して、
青年はためらうことなく、精悍な体つきの割には身軽な動作で御者台から飛び降りる。

豪華な装飾などされていないかわりに、毛並みも体躯も立派な馬を
大事そうに撫でる手を止めて、青年は大きく驚いたのち、途端再び破顔する。

小高い丘、というよりも小さな山ともとれるその中腹から、幾重にも城壁が巡らされ、
遠目から見ても、都合よく侵入できそうな箇所は見受けられない。

首を横に振った青年は老貴婦人に近づき、地図を覗き込めば、
こらえることもなく、素直に吹きだすが、馬鹿にする様子はなくまっすぐ声にだした笑った！

とっさに思い直すと、両手を合わせて詫びれば、荷物を大きな幌の荷台に乗せようと手を伸ばす！

ぽんと主人に首を叩かれた馬は、静かな瞳で老貴婦人を見つめ返した。

早速戦闘ということで、ノリ気で踏み出そうとするのだが、ししょーが何やら紳士的にエミリーとシドニーに下がるよう指示を出した。
しかし、

そう言うと手榴弾片手に明らかに尻尾を逆立てて威嚇のポーズをしている。大人げない！

しかし、平和でほのぼのとした時間もすぐに終わる。
隣の社長夫人が手榴弾を取り出した瞬間、猫妖精達は飛び起きた！
二足歩行で立ち上がり、思いっきり臨戦態勢に入っている。

１匹のケットシーの前に何やら契約書類と朱肉を差し出している…。

川の字に伸びる猫妖精のひとりを抱き上げようと、老貴婦人は手を差し伸べる。

しかし、老貴婦人の手と、社長夫人の突きつける契約書類とを交互に見ると、
猫妖精は煮え湯を浴びせられたかの様に起き上がり、すたこらさっさと逃げていった！

しばらくの間、考古学者の背中をじっと見つめている。
困ったように肩をすくめてみせると、小さな声でぼそりと呟いた。