ラルフとルリアンナという変な２人組が去ったあと、ボクは来た道を少しだけ戻っては、王城そばの森をうろうろとしていた。

　ボクは食事ができない、だけどユノは食事ができる。
　と、言うよりは、いまのボクは食事のいらないカラダなのだけれど、今のボクが動くためにはユノが食事をする必要がある。
　ユノが口に運んだり手に入れた生命、それをなんやかんやすることで生命のちからを取り出す。そしてユノがボクへ橋渡ししてつなぎ、その生命のちからをめぐらせる——というのだ。
　ユノの食事はいまのボクへ直結する。いいものを、生きたものを手に入れられればそれだけ元気に。
　なるべく手に入りやすいもので、生命のちからがあるもの……というと、やっぱり季節のもの、だよ、な。
「うん——きせつのものは、いのちの力がいっぱい——」
　口にしてない考えをぴたりと読み取って、ユノが口を開く。
「……」
「あ……いまちょっと、ソア、怒った——？
　だいじょうぶ。いまはまわり、誰もいないから——」
　もくもくと季節ものを探している間もちょこちょこユノが話しかけてくる。
「ソアとわたしは、つながってるから、考えてることも、聞こえるんだもん——。
　わたしは、うまれたばかりだし、契約も誰ともしてなかったから、なんだか、つながってるの、うれしくて——」
「それはわかるけど、ね。ユノの方の“たのしい”とか“うれしい”とかも、なんとな〜く感じるし」
　抑えられなくってはしゃぎ気味のユノの言葉に、ため息交じりでことばを返す。
「でも、聞こえはするけれど、それはぜんぶぜんぶじゃない、から——。
　それに、ソアのいやいや、って思うことは、出さないから——だいじょうぶ——」
　ソコハ、カナリ、シンパイ、デス。
　……でも、わかってるなら、いいんだけーどねー。
　そんなやり取りをしながら、ボクは地面に落ちてる梅の花びらを拾っていく。
　これに、塩があればまあ……いい、か、なあ……？
「こんなのも、いいのではないかな？」
　いきなりの声にきょろきょろと辺りを見渡す。
「——ここだ」
　再度聞こえた低い声。
　と、同時にふいにボクたちの前に、赤しその葉に乗り込んだ、紅い何かが現れた。

　ユノよりも大きい？　小さい？　いきなり出てきた紅いソイツ。
　そこまで大きいというわけでもないはずなのに、そいつと比べるとまるで赤しその葉が船のよう。
　凛としたたたずまいがなんとなく様になる、葉の船に乗る渡し守？　がそこにいた。　
　でも、え？　あ？　この状況は……？　え、なに？
「……どちら、さま——？」
　沈黙しばらく、ユノが紅いのに問いかける。
　ユノ、えらい。というか、ありがと。
「これは申し遅れた。吾輩はルベウス、この森に住むエンブリオが民である。
　話し声が聞こえてきたので見てみれば、そこには近年稀にみる珍妙なるもの」
　ちんみょーで悪かったな。
「しかも帥らはネクターをいくつか持っておる様子」
　さっきもらいましたから。
「ネクターは先日即位した王が政策によって自生するものすら根こそぎ搾取されており、もはや手に入れるのは容易ではない。
　それを持つというのは王の軍を誅したか、それとも王の搾取すらからも隠しおおしたそれを何らかの法で手にしたか」
　きっとおそらく後の方……です。
「今の時世、もはやネクターを持つもの自体一握り。それゆえなかなかに興味もそそられる。
　どうだ帥、吾輩と契約せぬか？　いのちをどうこうしたいというならば、命を運ぶ力を持つ吾輩と契約して損なきぞ」
　つまり、ものめずらしくて見に来てみたら、思った以上にものめずらしいしネクターも持ってるしで興味がわいたってことですか。
「ソア——きをつけて——コイツ、悪魔、だから——」
　苦笑いを浮かべているとポツリ、つぶやくユノ。
「ほぉ、幼きエンブリオよ。吾輩を悪魔と賤しむか」
　そのつぶやきを軽く笑って返す、紅いエンブリオ。
「なれば幼きエンブリオよ、汝が為さんとすることは秩序に沿いし善行か？
　現王が施政に於いて此処に在ってはならぬ紅き花、禁断の花を何故帥らは持つ？
　其を如何にして手に入れたか？　其を手に入れて何とする？　帥らが向かう道行は、真に——」
「まった」
　息もつかずに続く言葉を止める。
「しょーじき、キミの話はボクには難しくてよくわからない。けどキミは、ボクに力を貸してくれるつもりで現れたんだよね？」
「然り」
「じゃあ、おねがい」
　だいじょうぶ？　と心配するユノの想いを感じながら、ネクターの花びらを１枚取り出しボクはコイツとケイヤクした。

　難しいことなんてボクにはわからない。
　でもボクは、命を集めてエンブリオと結びあの人を、ヘイムさんを助けるって決めたんだ。



　森の向こうの山裾に、へんくつやろうが住んでいる。
　水を汲むときは気をつけろと、それだけをボクは聞いていた。

「……腕の、調子は？」
「あ、だ、だいじょうぶ、です……」
「……脚、は、どうだ？」
「それも……」
「……」

　いつものように、山まで水を汲みにいった、そこまでは覚えてる。
　でも、そこから覚えてない。
　気づいたときには見たことのない山小屋で、ボクは横になっていた。

　それが、３日前。

　ヘイムダル＝ムジョルニア。
　ひげもじゃで、目つきが鋭くて、ちょっと怖い、片目のひと。
　それが、地主さまの言う“へんくつやろう”のその名前。

　そして、冬の山中で倒れてた、ボクを助けてくれた鍛冶屋の名前。
　名前も持たないボクにソア＝ムジョルニアという名前をくれた、ボクの恩人の名前だった。

　気づいたとき初めにびっくりしたのは、脚がブリキのそれになっていたこと。
　でもその次にびっくりしたのが、そのブリキの脚はすごく調子が良くって、いままでの脚にくらべてぜんぜんよく動けたこと。
　ヘイムさんがいうには、ボクは身体が弱ってるのに無理に動かしたものだから脚が死んでいて、勝手だけどボクが倒れてる間にブリキの脚を造って、ふしぎな力で繋いでくれたのだと、いう。
　そのふしぎな力——エンブリオとのケイヤク——を、ボクはその時初めて知った。
　この世界、メルンテーゼではアタリマエだということも、ボクはそのとき初めて知った。

　この世界ではアタリマエすら、ボクはその時まで知らなかった。
　ボクはただただ地主さまに言われるままに生きて、働いて、呼び出されて、そして死んでいく。病に掛かろうが弱ろうが関係なく、そうやって生きて、死ぬ。
　みんな、そう。
　ボクの目の前の世界はそうだったから、だから世界というのはそんなものだと思っていた。

　だからこそ、このヘイムさんのやることなすこと１つ１つはとても新鮮で、あたたかくって、感謝してもしきれなかった。
　せめてもの恩返しに薪割りをしたら、よりにもよって手を滑らせて腕ぶった切っちゃって、よけいに迷惑をかけてしまった、けど……あの時は本当に、失敗したよな……。
　ちょっと気持ちがへこんできて、自然、視線が下におちる。


　ボクのからだの大きさにはまったく合わないぶかぶかのヘイムさんの服。
　その服が覆い隠している素肌はどす黒く、まだら模様となっていた。


「……決め、たか……？」
「……まだ、まよって、ます……」
　最初に気が付いたときは、まだちゃんとした肌色だった。
　だけど時間が経つにつれて変色し、いまでは腐った匂いもしてきていた。
　ヘイムさんが造ってくれたブリキの手足、それはすこぶる調子はいい。
　だけどそれとは反対に、生身であるボクのからだはとても調子が悪く、だんだん腐り始めていた。

　病に冒され日ごろからの無理もたたっていたところに、喪った手足を挿げ替えエンブリオで繋いだ。
　それもあってゆっくりとだけど、生身の部分がダメになり始めている。
　助かるためには全身を、手足と同じよう挿げ替えなければいけない。
　だけどもうそうなれば既にそれは異形のもの。
　ひとでなくなっても生きたいか、それともひととして死にたいか。
　ソアはどちらを選びたいか？

　昨日、そうヘイムさんに告げられた。

「いくらかは、エンブリオの力を借りて、腐る速度を遅く、してある……。
　だが、限度は、ある。長くは、ない。だから、早めに決めるんだ……」
「……」
　他の誰でもない、ボク自身のことだ。赤の他人のヘイムさんが手を尽くすのはアタリマエのことじゃない。
　そもそも知らないって山小屋から蹴りだしたっていいようなことなんだ。
　だから、迷ってるだなんて、考えられないとかって、そんなものは甘えだってわかってるんだ、けど……。

　でも、そういわれても、なかなか受けいれられないし、決められない。

　生きるなら、新しいからだが慣れてひとりだちできるまでは一緒にいてくれる。
　死ぬならば、その最期を看取ってくれる。
　どちらに決めるまでは、少しの間はこの山小屋でゆっくり生活してるといい。
　そういわれて、今ここで、いっしょに生活させてもらっている。
「……日が落ちる前に、薪、拾って、きます」
「……。
　良い空気を吸って、気持ちを切り替えてくると、いい……」
　日が傾きかけた時分に逃げるように、ボクは山小屋から出て行った。


　なぜボクはその時逃げたのかと、いまも何度も自分に問いかける。

　——焼け焦げた床と天井。
　——ばらばらにされた家具に食べ物。
　——ちらばるエンブリオ。
　——血だまり。

　帰ってきたときには、山小屋も、ヘイムさんも、これでもかってくらいにぐちゃぐちゃにされていたのだから。


「ヘイムの事、考えてるの——？」
　ユノの言葉に、首を縦に振る。
「だいじょうぶ、まだ、いまは」
「でも、ユノの力じゃ、助からないんだろ……？」
「わたしにできるのは、あくまでも“命を繋ぐ”、ただそれだけ——。
　あそこまで壊されたのでは、命が離れるのを繋いでおくことしか、わたしにはできない——」

　ヘイムさんがケイヤクしていたエンブリオは、ボクの言うことなんて聞いてくれなかった。
　ケイヤクに必要なネクターも、花瓶に飾ってあった奴はおろか軒下でドライフラワーにしていたのもきれいになくなっていた。

　残っていたのはただ一つ。
　危険物置き場の工具や資材に埋もれ隠されていた、肩幅くらいの大きさの箱の中。
　ボクの生身の部分を象ったブリキのからだと、中でユノが寝てた油さし。
　それと一緒にいれられていた、しおりについた花びらただ１枚だけ。
　かろうじてこの生まれたてエンブリオ、ユノとケイヤクできるただ１枚だけだった。

　いったい誰がめちゃめちゃにしていったんだ？
　アタマのよくないボクに思いつくコタエは、それこそたった一つだけ。

　王がネクターを根こそぎ奪い取っている、そのせいで生活の軸としている住人が反発しだしている。
　そんなことをヘイムさんから聞いていた。

　“根こそぎ”だなんて、どうやってるんだろうか？
　自生している奴なら摘めばいい。だけどエンブリオと生活している住人たちがもつ分は？
　することに反発してるなら、とーぜん抵抗するはずだ。

　根こそぎ奪うためにはどうするか。
　——力づくでも、奪い取る。

「帥は死にゆく誰かを助けたいのか、ならば答えは簡単ではないか」
　油さしの飾りとして嵌っているイミテーションの紅い宝石。それが薄く光り、低い悪魔の声が耳にひびく。
　先ほどケイヤクした命を運ぶという紅い悪魔、ルベウスの声が響いてくる。
「生命が毀れ行くというのであるならば、生命を注げばよかろうて」
「ボクはすでに生身としては、ひととしては生きてない。ユノに命を繋いでもらって初めて生きてる状態なんだ」

　ボクの生身に残っていたかすかな生命では助けられない。
　それを使っても、ユノではヘイムさんが死ぬのを遅くすることが精いっぱい。

　でもユノはいった。
　ボクが強くなって、他のエンブリオとも契約できて、それらと協力して強力な加護や力を引き出せれば、助かるかもしれない、と。

　ボクはそれに賭けたんだ。
　
「帥が他へと生命を注ぐほどには持たず足りえぬのであるならば、持ち溢れし何者かから、手に入れ運べばよかろうて」

　あるかないかもわからない、“助かるかもしれない”という可能性。
　それのためにボクは、ひとでなきものになってでも、ひとでなしとなってでも生きて探すと決めたんだ。

シャリン——、シャリン——
　どこからともなく音がする。

シャリン——、シャリン——
　それは、だんだん近づいてきている、そんな気がする。

シャリン——、シャリン——、シャリン——、——シャリ。

シャリン——、シャリン——
　どこからともなく音がする。

シャリン——、シャリン——
　それは、だんだん近づいてきている、そんな気がする。

シャリン——、シャリン——、シャリン——、——シャリ。