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No.385 Mimirs Stauseeレナーテ&マリア


Mimirs Stausee(ミーミルの溜池)へようこそ。
このコミュニティの活動内容はただ一つ。
「参加者が専門分野の知識をだらだらと語る」
それだけです。語り合うのではなく、一方的に喋るだけで結構です。
勿論、語らなくても構いません。レス不要。ROM歓迎。

ただ、専門分野の知識と言っても専門的すぎる内容だと他の誰も理解できなくなるので、適度に加減してくださいね。
雑学的な事でもいいですが、できれば「実際に何かの役に立っている」知識であると好ましいです。

どのように語ればいいかわからない場合は、コミュ主(のキャラ)が色々喋るのでそれを参考にして下さい。
私は主に徴税、水道、行政、茶道について語ります。



※禁止事項
・公序良俗に反するような発言
・他の参加者に著しく不快の念を抱かせるような発言
・その他、常識的に駄目だろうと思われるような発言



コミュニティメッセージ


レナーテ(385)からのメッセージ:
マリア「軍隊は性質上、消費しかしませんしね……。
現地調達も見込み通り行くとは限らない訳で。
運用を考える人は本当に頭が痛かった事でしょう>ウーシェさん」

マリア「さて……。今回もあまり時間が取れませんでした。
とりあえず、江戸の火事について少し話をします」

マリア「皆さんご存知の通り、江戸ではしょっちゅう火事が起きていました。
では、どの程度の頻度だったかと言いますと……。
市中の過半を焼き尽くす大火が合計で10回。
中心部の建造物は平均6年に1度の割合で全焼と言う酷い状況でした」

マリア「なんと日本橋も、慶長年間に架けられてから10度焼失しています。
他に、有名どころとしては……。
江戸三座の中村座・市村座は明暦3年(1657)の大火から天保13年(1842)の移転までの185年間に33回全焼。
6年に1度の割合ですから、平均的な数値と言えるでしょうか」

マリア「呉服問屋の白木屋は当時としては比較的防火設備が整っていたんですが、日本橋通一丁目へ移転した元禄13年(1700)から慶応4年(1868)までの168年間に13回類焼。
まあ、13年に一度ですから半分くらいの頻度ではあります」

マリア「大名屋敷も被害を免れる事はできませんでした。
水戸藩の上屋敷であった小石川邸(5万坪)は、寛永6年(1629)に拝領してから文政年間(1818-1830)までの約200年間に6度焼失しています。
徳川御三家ですらこれですから、他は推して知るべしですね」

マリア「何故これほどまでに火災が頻発したのか。主な原因は四つあります。
もっとも、ご存知の方も多いでしょう。
一つ目、火に弱い木造家屋が町人地で密集していたこと。
二つ目、冬季に乾燥した北西風が吹く環境であったこと」

マリア「三つ目、消防技術が未熟であったこと。仕方ないんですけどね。
当時は破壊消防……延焼を防ぐ為に建物を破壊すると言う消火法がメインでした。
まあ、消火と言うか何と言うか……いえ、現在でも場合によっては行う事もありますが」

マリア「そして四つ目、放火が多かったこと。
空き巣に入った後の証拠隠滅、火災後の食料の配給目当て、再建による雇用機会の増大を狙って……等々。
実に様々な理由で様々な場所が放火されました。
市中引き回しのうえ火焙りと言う厳罰でもって対処しても、なかなか数は減らなかったようです」

マリア「今回はここまで。
多分次回は、続きを話します」




コミュニティ参加者


 ENo.3 メルカヒルム2.3026
 ENo.27 白蛇こてつ
 ENo.38 罧原 雛菊 / 罧原 雛罌粟sen.
 ENo.70 ビーグ=ストーコドコイビートル
 ENo.113 璃珀Breamt
 ENo.145 白神 豊句外
 ENo.187 ファイリィス・イスティフラdajf
 ENo.222 結城 仁義リクレ
 ENo.260 ロゼア・ビアリー潮澄アヤ
 ENo.301 ラティルス・ヴィルデノウ草林
 ENo.380 天篠ぷららぷらら
 ENo.385 レナーテ&マリアレナーテ
 ENo.681 アニキステネスよっし
 ENo.805 セレーン=アデラくろはっぽいの。
 ENo.813 アルテア・S・レイフロスト*おおっと*
 ENo.910 ダーク=ブラッドペインダーク
 ENo.1352 れいんぼーれいん
 ENo.1514 ウルスラ・ペーシュDさん
 ENo.1554 調kame
 ENo.2020 イニャス・マドラルブリック
参加者 計 20