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No.385 Mimirs Stausee | レナーテ&マリア |
Mimirs Stausee(ミーミルの溜池)へようこそ。 このコミュニティの活動内容はただ一つ。 「参加者が専門分野の知識をだらだらと語る」 それだけです。語り合うのではなく、一方的に喋るだけで結構です。 勿論、語らなくても構いません。レス不要。ROM歓迎。 ただ、専門分野の知識と言っても専門的すぎる内容だと他の誰も理解できなくなるので、適度に加減してくださいね。 雑学的な事でもいいですが、できれば「実際に何かの役に立っている」知識であると好ましいです。 どのように語ればいいかわからない場合は、コミュ主(のキャラ)が色々喋るのでそれを参考にして下さい。 私は主に徴税、水道、行政、茶道について語ります。 ※禁止事項 ・公序良俗に反するような発言 ・他の参加者に著しく不快の念を抱かせるような発言 ・その他、常識的に駄目だろうと思われるような発言 |
コミュニティメッセージ |
レナーテ(385)からのメッセージ: マリア「仮にそれを続けて勝ったとしても、終戦後はぼろぼろの状態でしょうね……。 その後の立て直しまで考えると、気が遠くなりそうです>ウーシェさん」
マリア「さて、今回は小石川養生所についての話をしましょう。
マリア「医者にかかれない人は売薬を買う訳ですが、それも決して安くはありませんでした。
マリア「そんな状況を見かねた町医者『小川笙船』は享保7年(1722)正月、貧窮者向けの医療施設を設置するよう目安箱に意見書を投じました。
マリア「当初の収容者は『看病人のない』『病苦に苦しむ貧窮者』のみに限定されていましたが、享保8年2月からは看病人についての条件は撤廃され、享保10年からは無宿・非人を除いた行倒人や寺社奉行支配地の者も収容しました。
マリア「また、当初は投薬を受けるだけの通い病人も受け入れていたのですが……。
マリア「開設から天明7年(1787)あたりまでは常に定員近くか定員以上の逗留人がいました。
マリア「実はその頃、逗留人の全快率が低下し死亡率が跳ね上がっていたのです。
マリア「……さて、長くなりましたので続きはまた次回。
ウーシェ(1514)からの通信回線をオープン:
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コミュニティ参加者 |
参加者 計 20 名
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