レナーテ(385)からのメッセージ:
マリア「さて、今回は予告通り個々の刑罰について説明しましょう。 あんまり詳しく話しても暗い気分になるだけですし、あくまで簡単に」
マリア「まずは生命刑から。最も重いとされていたのが鋸挽、主人殺しに適用された刑です。 元々は罪人の首から下を土に埋めて、首を鋸で挽くと言うものだったんですけど……。 江戸期においては、鋸を横に置いて『鋸で挽いたように見せる』だけの形式的なものとなりました。 二日間晒された後は磔にされましたので、磔の付加刑と言ってもいいでしょう」
マリア「次に重い刑である磔は、前の主人殺し、親殺し、師匠殺し、主人傷付け等に適用。 柱に縛り付けて槍で何度も刺すと言うものでした。 獄門はいわゆる晒し首です。 追剥、主人の妻との密通、毒薬販売、関所抜け、偽秤・枡の製造などに適用されました」
マリア「火罪は火あぶり。放火犯限定の刑でした。 死罪は10両以上の盗み、他人の妻との密通等が対象。 斬首に加えて死体を試し斬りに使われ、家財も没収されました。 下手人は喧嘩口論による殺人等が対象で、こちらはただの斬首です」
マリア「斬罪もただの斬首ですが、目隠しをしないという違いがあります。 切腹は……まあ、切腹ですね。 上記二つは武士階級にのみ適用されました」
マリア「身体刑の剃髪・入墨は読んで字の如くです。 入墨は主に盗犯に対して行われました。 敲は背中から尻にかけて笞で叩かれる刑。軽敲が50回、重敲が100回。 なお、これは庶民男子のみを対象とした刑で、武士、僧侶、女性には科されませんでした」
マリア「そして自由刑……は随分種類が多いんですよね。 遠島は島流しとか流罪とか言われるあれです。過失致死や、特定の宗派の信徒に適用されました。 送り先は、江戸からは大島、利島、神津島、新島、八丈島、三宅島、御蔵島の七島のどこか。 なお、その者の家屋敷・家財は没収されました」
マリア「遠島に次ぐ自由刑、各種『追放』の御構場(立ち入り禁止となる場所)は以下のとおり。 重追放が武蔵、相模、上野、下野、安房、上総、下総、常陸、山城、大和、摂津、和泉、肥前、東海道筋、木曽路筋、甲斐、駿河。 中追放が武蔵、山城、下野、大和、摂津、和泉、肥前、東海道筋、木曽路筋、日光道中、甲斐、駿河」
マリア「軽追放が江戸十里四方(日本橋から五里四方)、京、大阪、東海道筋、日光、日光道中。 江戸十里四方追放は、上記の最初のものだけ。 江戸払が、品川、板橋、千住、本所、深川、四谷大木戸内」
マリア「所払は住んでいた所から追われるもの。 門前払いは奉行所の門前から追い放すもので、主に無宿者について行われていました。 ……と、発言枠が切れたので続きはまた次回」
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