レナーテ(385)からのメッセージ:
レナーテ「予告の通り、今回は東独の暮らしについて話をしよう。 まあ、大した事は喋らんがな。最近は堅い話が続きすぎた」
レナーテ「東独はとにかく生活必需品が安かった。 また、家賃や公共料金も極めて安く、水道は無料。 ただし、そのせいで多くの東独国民は節約の精神が欠如していた。 ちなみに、電気料は1kWあたり0.008マルクだったのだが、生産費は0.024マルクかかっていたそうだ」
レナーテ「だが、トイレットペーパーの質は悪かった。ティッシュに至っては売っていなかった。 タバコは高くて不味く、ライターは無くマッチのみだった。 カラーフィルムの現像には約一ヶ月を要した。 輸入品が無く、リンゴを除いた果物は殆ど市場に出回らなかった」
レナーテ「食堂やレストランは極度に少なく、常に長蛇の列ができていた。 しかし、外がそんな状況であるにも関わらず店内には大抵の場合、かなりの空席があった。 何故ならば、店の席の三分の一程度はSED党員、兵士、ロシア人の為の専用席だったからだ。 なお、料理自体の価格は安く、西の四分の一程度だった」
レナーテ「家電製品は非常に高かった。 労働者の月収が700〜1,200マルク程度であったのに対し、 ラジカセは1,160マルク、冷蔵庫は1,520マルク、全自動洗濯機は2,750マルク。 カラーテレビは何と5,650マルクもした(1989年のデータ)」
レナーテ「東独における最終的なテレビの普及率は52%、冷蔵庫は43%、全自動洗濯機は66%だった。 だが、電話の普及率はたったの16%でしかなかった。 その理由は……まあ、わかるだろう? 東独において、電話をかけると言う事はつまり『盗聴される事』だったからな」
レナーテ「以前にも話したが、環境汚染は極めて深刻だった。 森林の半分以上が酸性雨被害を受け、工業排水の40%は未処理のまま河川に垂れ流し。全国15000ヶ所のゴミ捨て場には産廃が放置されたまま。 そんな状況でありながら外貨獲得のために西独からゴミや有害産廃を受け入れ、穴を掘って野積みしていた」
レナーテ「最後に、真偽のわからぬ噂を一つ。まあ、都市伝説の類だとは思うが。 チェルノブイリ原発事故の後、西独は東欧からの食料品輸入を全てストップした。 そして、行き場を失った商品は全て東独へ流れ込んだのだ。 その時ばかりは、東独の市場に大量の輸入品が並んだそうだ。 珍しい動物や見た事も無いキノコ、変わった果物などが……な」
レナーテ「さて、次回もまた東独についてだが……。 そうだな、Stasiについてでも話すか。別の話題にするかもしれんが」
ミィ&仁義(222)からのメッセージ:
ミィ&仁義「人間の執念は恐ろしいですねぃ…」
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