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No.385 Mimirs Stauseeレナーテ&マリア


Mimirs Stausee(ミーミルの溜池)へようこそ。
このコミュニティの活動内容はただ一つ。
「参加者が専門分野の知識をだらだらと語る」
それだけです。語り合うのではなく、一方的に喋るだけで結構です。
勿論、語らなくても構いません。レス不要。ROM歓迎。

ただ、専門分野の知識と言っても専門的すぎる内容だと他の誰も理解できなくなるので、適度に加減してくださいね。
雑学的な事でもいいですが、できれば「実際に何かの役に立っている」知識であると好ましいです。

どのように語ればいいかわからない場合は、コミュ主(のキャラ)が色々喋るのでそれを参考にして下さい。
私は主に徴税、水道、行政、茶道について語ります。



※禁止事項
・公序良俗に反するような発言
・他の参加者に著しく不快の念を抱かせるような発言
・その他、常識的に駄目だろうと思われるような発言



コミュニティメッセージ


レナーテ(385)からのメッセージ:
レナーテ「さて、前回は『壁は共産側の暴虐として捉えられる事が多い』と言うところまでだったな。
では、実際に壁がどのような役割を果たしたのかを検証してみよう」

レナーテ「まず、東独。
西と断絶した事により人口の流出は激減、通貨は安定し、経済成長率は向上。
1960年代には、東ベルリンの生活水準がソ連を抜いた。
それにより市民の意識も安定、秩序と規律が回復された」

レナーテ「西独にとっても、実は壁の存在は有益だった。
壁の構築により東独及びソ連の最大の不安――東独の実質的崩壊の危機――が取り除かれたため、東西の直接な対決が回避されたからだ。
その結果、西独も安定した成長を続ける事となる」

レナーテ「では、他の西側諸国……特に、盟主であるアメリカは壁をどう見ていたのか?
アメリカは壁を『人権の無視、侵害である』と強く批判した……が、実際には便利な存在と思っていた。
壁を実質的に黙認している限り、ドイツ問題でソ連と致命的な衝突は生じない。
当時のアメリカはベトナム問題を抱えていて、ベルリンに関わっている暇など無かった」

レナーテ「壁の構築から6日後の8月19日にアメリカ副大統領ジョンソンが西ベルリン入りしたものの――
翌日に兵士1,500人を西独からアウトバーン経由で西ベルリンに移送し、しかしそれ以上は何もしなかった。
実は兵士の移送は壁への対策ではなく、通行権と駐留権の確認のための実験だった。
無事成功した以上、アメリカはそれで満足したのだ」

レナーテ「西側も東側もいいように壁を利用し実利を得た。
つまり、壁は政治的駆け引き、及び妥協の産物だった。
東西が共に必要としていたからこそ、この異常な構築物は28年も存続しえたのだ」

レナーテ「大きな視点で見れば、壁の存在はかなりのメリットがあった。
……しかし、どのようなメリットがあろうと、壁が数々の悲劇を生み出した事実は変わらない。
『国益』の為にベルリンは切り捨てられたのだ。
まあ、どこにでもあるような話と言えばそうだがな」

レナーテ「さて、今回はここまで。
壁に関わる話はまだまだあるが……。
次回それを話すか、それとも別の話にするかはまだ決めていない」

ミィ&仁義(222)からのメッセージ:
未依「(正座)」
仁義「(正座)」




コミュニティ参加者


 ENo.3 メルカヒルム2.3026
 ENo.27 白蛇こてつ
 ENo.38 罧原 雛菊sen.
 ENo.70 ビーグ=ストーコドコイビートル
 ENo.113 璃珀Breamt
 ENo.145 秋久 豊句外
 ENo.187 ファイリィス・イスティフラdajf
 ENo.222 御名神 未依リクレ
 ENo.260 ロゼア・ビアリー潮澄アヤ
 ENo.301 ラティルス・ヴィルデノウ草林
 ENo.380 天篠ぷららぷらら
 ENo.385 レナーテ&マリアレナーテ
 ENo.805 セレーン=アデラくろはっぽいの。
 ENo.813 アルテア・S・レイフロスト*おおっと*
 ENo.910 ダーク=ブラッドペインダーク
 ENo.1352 れいんぼーれいん
 ENo.1514 ウルスラ・ペーシュDさん
 ENo.1554 調kame
 ENo.1868 ラフラムらふ
 ENo.2020 イニャス・マドラルブリック
参加者 計 20