ENo.799 アンジーラ・スタイナー

（PL:のろのろ復活も兼ねて、いつもとは違う風味）
　
　
　
　
天気晴朗、温暖…というよりは、とても暑い。
祖国では味わったことのない暑さが辺りを取り巻いている。

報告の手紙を、しばらくの間さぼった。
なんとなく乗り気ではなかっただけ。そんな事で。
申し訳が立たなくて、改めて紙をとってみても筆が進まない。どうしたものか分からなくて、今はただ茫洋としているだけだ。

人は弱り始めればいくらでも落ちる生き物。
思考という利権を得た対価であろうか、時たま思考を拒むかのように、心が感情に雲ってしまう時期がある。
高揚ならばまだ良い。だが問題は、劣化した感情のそれ。

むんむんとする夏の熱気も手伝って、おかしな事を思い出してしまう。

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アンジーラは一睨みを残して葬列へと駆けていった。
潔癖な少女にきついことを言ったかも知れない。ポーズだけでもとるべきだろうか。
だがその為に雨に濡れるのもいかがなものかと思う。まさかこんなおあつらえ向きの天候になるとは思わなかったから。
しばらく葉っぱから滴るしずくを眺めていると、いつの間にか軽薄な笑いを浮かべた一人の男が横に立っていた。

「あんた、意地悪ィな」

冷やかすように吐き捨てるのは、血の繋がった弟だった。
生まれてすぐに叔父のもとへ養子にやられて、今の今までほんの一、二度しか会ったことがない。
彼は生来の『俺の弟』ではなく、『アンジーラの兄』という存在に成り果てた。
顔も似ていない。髪の色も目の色も、背丈も環境も何もかもが違っている。
いっそはじめから他人だったと思うほうが自然だけれど、それでも全く同じ血を分け合っている。

「…君も一緒だよね」
「何がだよ」
「親父の見たもの、見えてるんだよね、君にも」

彼は少しの間、押し黙った。
伏せた目の下に細い皺がよって少し暗くなっているように見えるのは、雨と暗い光のせいだけではないだろう。

「俺も見えるんだよね。かわいそうとは思わないけど、切ないとは思う。ああ、でも今夜は見えないな」
「…はあ、そーやって感傷に浸るからだろ？いちいち気にすんなよ、ナヨナヨしてんじゃねぇ、20ナンボにもなって」

荒っぽく吐き捨て、

「スタ…あー…何て言や良いんだ、伯父さんってのも違う気がするしなぁ。
その…『あんたの親父』はさ、馬鹿でも不器用なわけでもなかったよ。多分な。ま、そんなモンだよな」
「俺もそう思う」
「アンはまだ若いからな、夢見てるのさ。完全主義者かもしんねー。うちの親父…あー、あんたからすると叔父の人、けっこう完璧な人だしさ。
俺はアンの純粋なとこ、好きだけど」
「俺もそう思う」

俺は微笑みながら同意してみせた。
やっぱり、この弟とは驚くほど思考が似通っていると思う。奇妙な親近感だ。

「ま、俺はあんたの親父みたく、息子に『死んで良かった』なんて言われる生き方はしたくないがね。
嘘でも泣いて惜しんでくれるくらいのいい子供が欲しいモンだ。あー、可愛い嫁引っ張ってきてくれる息子が生まれねーかな、将来」
「…途中で余計な話が加わってるけど、まあ概ね同意かな」

冗談を交えてみせる彼は、多分俺よりもずっとタフだ。
泣けば泣いた分人間は弱くなる。沼に呑まれるように衰弱していく。
俺ももう子供じゃないから滅多に涙などは流さないけれど、良い方向に転換したり、彼のように笑い飛ばすのが苦手だった。

「沼…ね。親父は沼にはまって、溺れそうでばたばたしてたんだなぁ、ずっと」
「は？何の話だよ」
「ネガティブな発想に掴まると怖いなって話」

俺は親父のことが好きだったから、いっそ楽になってくれて嬉しかった。
けれども溺れた彼を引き揚げるのではなく、沈めることを良しとしたのは、よくよく考えてみればおかしいのかも知れない。
俺ももう、捉まっていたんだろうか。

「…あんま気にすんなよ」
「気にしてないよ」
「死んだ死なないじゃなくて、あんた自身のことな。毎晩毎晩月の観察してねーで、眠れないなら眠れないなりきに本でも読んで気逸らせば行けるかも

しんねーぞ」
「へえ、それ効くの？」
「たまに本に集中し過ぎて完徹。朝目にクマつくって反省することになる」

光景が容易に想像できて、俺は声を挙げて笑った。
そうして、手を泥で汚した葬列にいっせいに睨まれたのだった。